7月8日午前9時45分、パリ郊外イヴリーヌ県にあるポワシー刑務所から、仮釈放されたダニー・ルプランス(53)が出てきた。16年ぶりの自由を味わいながら、ルプランスは、服役中に結婚した二度目の妻の手を固く握りながら「ありがとう」、「なんとか大丈夫です」と口数も少なめ。「とても幸せです。早くふつうの生活に戻れるようにしたい」と笑顔の妻が彼の喜びを代弁していた。
1994年9月5日、サルト県の、ルマン市から遠くないところにあるトリニェ・シュル・デュエ町で、自動車修理工場の持ち主、クリスチャン・ルプランスと妻、二人の子供の惨殺死体が、彼らの自宅内で発見された。それから4日後、すぐ近くに住んでいたクリスチャン・ルプランスの兄、ダニー・ルプランスの妻は、夫が肉切り包丁で4人を殺害したと証言する。46時間にわたった取り調べの末、ダニーは犯罪を認めるが、翌日その自供をひるがえし、犯罪を否認。以来、無実であることを訴え続けている。
1997年12月16日、ルマンの重罪院は、ダニー・ルプランスに無期懲役の判決を下す。その直後、ルプランスを支援する会がつくられる。犯行現場に残っていた靴跡は、ルプランスのものと一致しない。現場から検出された被害者に属さないDNAもルプランスのものと一致しない。血痕がついたルプランスの衣類が一つも発見されていないなど、取り調べの欠陥を指摘しながら、再審を求める。この会の中心人物は、1973年に殺人教さの罪で15年の懲役刑を受けたが、その後証言が偽ったものであることが判明し再審が認められ、1985年に無罪判決を受けたロラン・アグレ。2008年、彼はジャーナリストのニコラ・ポワンカレと共著で『Comdamné à tort, l’affaire Leprince』を出版する。
こうした努力が実り、2006年になって、重罪院判決再審委員会はあらたに補充調査を行うことを命じる。その調査中、ルプランスが犯人と断言した前妻も、「記憶があいまい」と証言の一部をひるがえしたり、また取り調べを担当したモニエ准尉と前妻との親密な間柄が浮かび上がるなどし、同委員会は再審院Cours de révisionに、再審すべきかどうかの判断を求めることになった。
そして今度の釈放。ルプランスの弁護士は「まったく例外的な処置で、再審への可能性が強い!」と語った。とはいえ、完全に自由の身となったわけではなく、再審院が、ルプランスが無罪である、新しい裁判を行う、再審は却下する、の三つのうちのいずれかの判断を、早くとも2011年に下すことになる。
司法関係者の間では、誤審の過半数の原因は、物的証拠なしで、証言だけに頼ろうとする取り調べにあるという声が強い。(真)