プルーストの味を求めて –5

『失われた時を求めて』の語り手の叔母レオニの女中だった料理自慢のフランソワーズは、後年語り手一家に献身的に仕えることになる。彼女が最も得意としているデザートは、語り手の父の好物だったチョコレートクリームだった。ただ、食にかけては「芸術家」である彼女は、「すぐれたオペラ歌手が歌の秘訣をたずねられたりする場合とほとんど同様に」、(井上究一郎訳)そのレシピは明かしたがらない。
 『失われた時を求めて』と言えば誰もがマドレーヌを思い出すほどだが、このお菓子もきっと芸術家フランソワーズが時間をかけて生み出したひとつの「作品」だったに違いない。ある陰気な寒い冬の日に、紅茶にひたしたプチット・マドレーヌをなにげなく味わった語り手は思いがけない幸福感に包まれる。「お菓子のかけらのまじった一口の紅茶が、口蓋にふれた瞬間に、私は身ぶるいした、私のなかに起こっている異常なことに気がついて。すばらしい快感が私を襲ったのであった、孤立した、原因のわからない快感である」
 その強烈な喜びは彼を日常のあらゆる不安から解放する。それがどこから来るものなのかとひとしきり考えた彼は、幼いころに味わった、菩提樹のハーブティーに浸したマドレーヌのことを思い出す。それを飲んだのは、叔母のレオニが住む田舎町。その古い家の部屋から漂う「非常に栄養になる非常に滋養分に富んだ沈黙の、最上質の粉のかぐわしさに飽和して」いる匂い、「パイか何かが焼けるような、食欲をそそる匂」をさせていた暖炉の火のことも。
 「過去の記憶」はこの小説のメインテーマとなっているが、その記憶をたどる上で「回想の巨大な建築をゆるぎなく支える」ものと作者が頼りにしていたのが「味と匂い」だったようだ。(さ)