「Sur ma tombe, à la place de fleurs et de couronnes, apportez-moi la liste des milliers de familles auxquelles vous aurez pu donner la clé d’un vrai logement. 私の墓には、花輪のかわりに、あなた方がきちんとした住宅の鍵を手渡せることができた数千の家族のリストを持ってきてほしい…」というのはピエール神父の墓碑銘。同神父は、ホームレスや、住居とはいえないようなところに住んでいる人たちのために、半世紀以上にわたって力を尽くした。数日前に、19区のロマンヴィル通りにある〈Fondation Abbé Pierre〉の前を通ったら、歩道に、たくさんの鍵を埋め込んだ記念碑が。ニコラ・シマリック氏の手になるこの碑は、ピエール神父が亡くなってちょうど2年目にあたる1月22日、パリ市のドラノエ市長などの参列のもとに埋め込まれた。
ピエール神父の一生
1912年:リヨンで生まれる。
1931年:カピュサン修道院に入る。
1942-44年:ナチスに対するレジスタンス活動。
1945-51年:ムーズ=モーゼル県選出の代議士として、ホームレスのための住宅建設に力を尽くす。
1954年:大寒波に襲われたフランスで凍死者が出、ピエール神父はラジオで「善意が反乱をおこすように」と訴え、政府に生活困窮者向けの住宅を急きょ建設することを要求。パリにエマウス協会が創設される。
1984年:エマウス協会は、カトリック救援団体、救世軍と協力し、食料バンクを設ける。
1994年:「無関心に終止符を打とう。これは戦争だ。人間たちを襲う悲惨さとの戦争だ」と再びラジオで訴える。2007年に94歳で亡くなるまで、フランス人の一番お気に入りの人物でもあった。