11月にランスで開かれる社会党大会でフランソワ・オランド氏に代わる第一書記が選ばれる。ロワイヤル、オーブリ、ドラノエなど各氏に対抗して、これまでジョスパン元首相やストロス=カーン元経済相の影武者的存在だった、50歳になったばかりのピエール・モスコヴィシ氏も立候補の意向を表明して注目された。ところが最近になって、ドラノエ氏を支持することにしたとして立候補を断念。
1957年パリ生まれ。父はルーマニアから亡命してきた著名な社会学者、母は精神分析医。どちらも共産党支持者だった。ピエール・モスコヴィシ氏も早くから政治に目覚め、1936年に人民戦線内閣を率いたレオン・ブルムに憧れ、今でも国民議会議員の議員室には彼の肖像画がかけられているという。極左の運動に参加しながらも、1981年に国立行政学院に入学。5年後にジョスパン元首相と出会い気に入られる。彼の後押しで、37歳で欧州議会議員、40歳でヨーロッパ問題担当相に就任と、とんとん拍子のスタート。ところが2002年の国民議会選挙で労働者層の,多いドゥー県で立候補したが、テクノクラート的な冷めた話しぶりや毛並みの良すぎる態度が災いしてか、落選。「サルコジ大統領の強みは、下手なフランス語でも、フランス人に話しかけることを知っていることだ」と反省し、2007年には、同じ区で立候補してみごとに当選する。
レオン・ブルムの肖像画の隣には、ニルヴァーナのカート・コバーンのポスターが貼ってあるというくらいにアメリカ文化を好み、毎年、NYやシカゴに行くことを楽しみにしているという。未婚で子供なし。(真)