ナチスによる略奪美術品。

 ヴィシー政権下、ナチスが1940年から1944年までフランス警察と共同体制のもとに行ったのは、ユダヤ人の強制収容所への移送・絶滅計画だけではなかった。美術品の宝庫であるフランスからできるだけ多くの美術品を略奪しドイツに送り、オーストリアの都市リンツにヒトラーの念願の美術館を設立することも美術愛好家ゲーリングらの任務だった。
 当時の在仏ドイツ外相と大使は、なかでもロスチャイルド家のコレクションなど価値の高い美術品をフランスとの平和条約の切り札にすることを考えていたと見られている。
 美術品の大規模な強奪は、1940年休戦と同時にナチス思想家アルフレッド・ローゼンバーグの指揮下で行われ、1944年までにパリだけで約38,000戸のユダヤ人住居が強奪された。ほとんどのユダヤ人住人が収容所に送られたあとの空き巣からの強奪だった。それらの輸送貨物列車は138車両にのぼり、発送日を待つ何万点もの絵画がルーヴルとジュ・ド・ポームに積み上げられ、自慢そうにそれらを眺めるゲーリングの写真は有名だ。またドイツに送られた作品の中には、ナチス占領期にドイツの美術館やコレクターたちがフランスの画商や競売会で大量に買いあさった作品も多い。
 フランスからドイツに渡った作品は10万点におよぶ。そのうちの6万点が1945年に連合軍の手でフランスに返却され、1949年までに元所有者家族に戻ったのは4万5千点。残る1万5千点のうち1万3千点を国有財産管理局が売却している。あとの2千点は持ち主が見つからないままルーヴルやジュ・ド・ポームなどに「回収品美術館」として保存されている。
 今年建国60周年を迎えたイスラエルの国立美術館で2月から6月上旬まで、これらの作品のうち53点が公開されたが、この展覧会がパリのユダヤ芸術・歴史博物館*で10月26日まで開かれている。フラゴナールやアングル、シャルダン、セザンヌ、モネ、スーラ、ドガ、クールベ、ドラクロア、コロー…他、ルネサンス、バロックの無名作家の作品など。強奪品の中にピカソやマチスなどの作品がないのは、ナチスがそれらに〈退廃芸術〉の刻印を押し、それらの作品をフランスの画商らにフラマン派などの作品と不当に交換させたからだという。
 1997年、ジュペ元首相はマテオリ調査委員会を開設、ナチスがユダヤ人から強奪した美術品だけでなく不当に没収した住居などの目録の作成とともに、ユダヤ人犠牲者のためにショア記念会館を設立。1999年にジョスパン政権が設立したナチス強奪犠牲者賠償委員会は、今だにそれらの元所有者、遺族を探し続けている。(君)

1945年連合軍米兵と返却を待つ絵画。

*Musée d’art et d’histoire du Juda不me :
71 rue du Temple 3e M。 Rambuteau 土休


 

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