ラマダーン真っ最中に、イスラームの人々に聞いてみた。

フランスに住むイスラームの人々とそれ以外の人々の「争点」をいくつか拾ってみよう。

教育
1905年の国家と教会の分離を定めた法律の制定以来、フランスは教育の「世俗化」を進めた。教育からカトリックの影響を取り除こうとしたのだ。同じ理屈がこの20年ほどの間に、若いイスラーム女性がかぶるベール(スカーフ)に向けられ、「ベール論争」から、教室ではかぶるなという法律まで作られた。若いイスラーム女性にとってはベールは親の世代とはまた違った意味をもち、ひとつの表現ともなっているのだとしたら、それが何を表現しているのか耳を傾けてみる、というのが教育の使命では?と思うのだが。

歴史
秋に公開された『Indigènes』(土民兵とでも訳すのが一番当たっていると思う)という映画がきっかけで、シラク大統領が、第二次大戦に動員された植民地出身の元兵士の恩給額をフランス元兵士並みに引き上げることを決断した?という。アラブ人だけでなく、アフリカ人もふくめた「土民兵」の動員は、慢性的な人口不足に悩んできたフランスにとって第一次世界大戦以来、戦争の切り札だった。そうした植民地支配と動員の影が今も生きていることをこの映画がはっきりと示した。この映画の公開以来、メトロで見かけるイスラームの老人がちょっと違って見えるようになった。兵士の動員は、戦争が終ると経済戦争の兵士である移民が必要になるのとつながっている。

移民
1970年代半ばの不景気の時代、単身の移民労働者を制限する法律ができ、家族を呼び寄せる人が増えた。一世代を経てフランス生まれの移民第二世代が兵役もからんで「問題」となったのが80年代。そして現在は「不法入国」のアフリカの人たちも含め、移民の流入をどうするか、抑えるのか統制するのか選別を強化するのか、これから生まれる世代については国籍の取得をむずかしくするかなど、来年春の大統領選挙の争点にもなっている。

信仰の場
本屋でフランス各地のモスクや「祈りの場」がリストアップされたAnnuaire des Mosquées de Franceを見つけた。清めの水道やトイレの有無がホテルガイドのように図示されている。収容人数も示されているので、パリ市内を確かめてみた。大小のモスク合わせて市内では男性4330人、女性510人分のスペースしかない。タンジェ通りの大モスクが再建されればこれに加えて男性4000人女性100人分が加わるとしてもスペース不足は明らかで、フランス各地でモスク建立が争点になっている。


イスラームの人々が生活する場所や研究活動の拠点を見に行ってみよう。

エド・ダワ・モスク
スターリングラード駅から北に5分ほど、タンジェ通り35番地にパリでは一番人気のあるエド・ダワ・モスクがある。いや、今は取り壊されて新築を待っているので、あった、という方が正しい。完成すればパリでは最大のモスクになる。すぐ隣のビルはイスラーム専門の書店Maison d’Ennourがあり、クルアーンはもちろん、入門書からクルアーンの章句を使ったインテリア、衣装、カセット、そして金文字で綺麗に装丁したハディース(預言者言行録、ムハンマドが言ったこと、行ったこと、承認したことなどの記録)が売られ、人々がひっきりなしに訪れる。

5区の大モスク

第一次大戦後、中東政策をにらんで1926年にフランス政府の肝いりで完成した、パリでももっとも古く権威あるモスク。レストランもあり、食事やティータイムを楽しめる。ハンマーム(アラブ風蒸し風呂)もあるので試してはいかが?

バルベス界隈
パリでイスラームの人々の生活が根付いているのは何といってもパリの東北部、ベルヴィルからバルベスにかけてメトロ2号線の北側に沿った界隈だ。土日になると、とりわけ今年はラマダーンに重なったせいか、道には日没後に食べる食材を売るスタンドやらで大賑わい。グット・ドール通りやモスクのあるポロンソー通り周辺にはイスラームの生活に密着した結婚衣裳の店や、主に婚礼用と思われる金製の装身具の店がひしめきあっている。装身具の店には母親と一緒の若い女性や、婚約者らしい若いカップルが真剣な眼差しでネックレスやイヤリングを吟味している。魔よけといわれる「ファーティマの手」や「眼」をかたどったブローチが眼を引く。一つ買いたいなとつい思ってしまうのはわたしだけではないだろう。


バルベス街のポロンソー通りにあるモスク。
ラマダーンのお祈りの時などは、通りにまで信者が溢れる。

東駅南界隈
10区の東駅の南、サンドニ門の北の一帯にもイスラームの生活が根付いている。バルベスあたりと少し雰囲気が違うのは、パッサージュ・ブラディやパッサージュ・プラドを中心にインド、パキスタンからのイスラームの人々が比較的多く住んでいるためかもしれない。男性用の床屋さんが賑わっている。それに、街には東アジア系の人も多く、トルコ人の経営する店も多い。ひょっとするとパリでももっともアラブとアジアが混在する場所なのではないだろうか。


アラブ世界研究所
このセンターは故ミッテラン大統領の発意で、大モスクにほど近いパリ大学ジュシュー校舎の北側セーヌ川ベルナール河岸に1988年にできた。ジャン・ヌーベルの設計は、今年開設されたケ・ブランリー美術館と同じくガラス張りのモダン建築。ヴェニスがナポレオンに支配される1797年まで、アラブ世界との交易でいかに栄えたかを示す「ヴェニスとオリエント展」は一見の価値あり。


イスラーム世界を知る豆知識

ラマダーン
太陰暦のイスラーム暦の9番目の月はラマダーンと呼ばれ日の出から日没までの断食がおこなわれる。今年はちょうど9月の新月から10月の新月までだったが、月の動きにしたがう太陰暦なので1年に10日ほどずつずれてゆく。33年で同じ季節にもどるので、自分が初めてラマダーンをした季節がもどると人生がひとめぐり。老人は「わたしはもうラマダーンが2めぐりした」という風にいうそうだ。ラマダーンの間は、日中、ものを食べたり飲んだりしてはいけないので、夏の時期に当たるとつらい。しかし断食月は日没とともに祈った後、家族そろってご馳走を食べ、隣近所と料理を交換し合って交流する楽しい季節でもある。そして断食明けの祭りは賑やかな喜びあふれた祭りになる。


男性も菓子屋に列をつくる。

ハラール
 イスラームの人々は、神に正しく祈りながら頚動脈を切って血を抜いた「ハラール」の肉以外は食べない。肉屋さんの看板にHALALと大きく書かれているのがそれだ。肉屋さんには羊の肉がたくさん出ている。また、よく知られているとおり豚肉は食べない。

5回の礼拝
イスラームの人々の生活にめりはりをつけるのは、何といっても1日5回おこなう礼拝(サラー)だ。暁、正午過ぎ、午後、日没後、夜の5回で、日中は2回、それも時間は融通がきくので仕事の合間におこなうこともできる。祈りを通じてイスラームの人々は神と直接に接するたいへん大事なものだから、イスラームであるための基本的な5つの「行い」のひとつに数えられている。祈りは、直立、おじぎ、平伏、正座を含むラクアという単位からなり、暁にはラクア2回、日没には2+1で3回、その間にクルアーン(コーラン)の一節を、ある時は声を出して、ある時は無声で暗誦するなどと決まっている。

巡礼
5つの「行い」のもうひとつがマッカ(メッカ)への巡礼だ。巡礼経験者はハーッジュ(女性はハーッジャ)と呼ばれ敬意を払われる。それぞれの信者にとっては人生の大目標になる。前述の礼拝、巡礼に信仰告白、喜捨、断食を加えて5つの「行い」となる。

キブラ(マッカの方向)
礼拝は正しくマッカの方向(キブラ)に向かってしなくてはならない。そのために羅針盤つき祈りマットというすぐれものが売られている。磁石の針を番号に合わせれば、羅針盤のミナレット(塔)の絵の方向がマッカになる。自分のいる場所が何番かは、付属の小冊子に一覧がでている。たとえばパリは260番、東京は100番。これで世界中どこでもマッカの方向はたちどころに決まる。天文学と航海術に秀でていたイスラーム世界にとってこんなものはお茶の子だったのだろう。

フランス語のなかのアラビア語
砂糖はアラブ世界で発明されただけにシュクルというフランス語のもとはアラビア語だ。コーヒーももとはカフワというアラビア語。興味深いのは商業関係で、店という意味のマガザンは倉庫というアラビア語から、料金のタリフ、数字という意味のシフルやゼロももとをただせばアラビア語で、計算という意味のアルジェブルもそうだ。こんなところにもイスラーム世界から西洋に古くからもたらされたものの跡が見られる。

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