知る人ぞ知るアジア芸術の美術館が1年の大改装工事を経て再オープンした。美術館の建物はイタリア出身の富豪アンリ・セルヌスキ(1821-1896)の館。セルヌスキ(イタリア語ではチェルヌスキ)は、イタリアがオーストリアに一部占領されていた時代にミラノを解放した英雄のひとりで、解放後共和制の代議士になるが政情不安定からフランスへ亡命した人物だ。パリではビジネスの才を発揮し、大富豪となった。しかし1871年に起こったパリ・コミューンの労働階級蜂起で共和主義者として衝撃を受け、傷心を癒すため世界旅行に出かける。中国、朝鮮、日本を回り、1873年に帰国するまでに各国で合計4000点に上る美術品を購入した。それらの美術品がこの美術館のコレクションの基本となっている。持ち帰った美術品の置き場所に困り所蔵スペースを作るため、モンソー公園に接したベラスケス通りにイタリア様式の館を建てた。当時ジャポニズム全盛期のパリでセルヌスキ・コレクションは大変評判を呼び、多くのパリの名士たちが館を訪れたという。館とコレクションは遺言でパリ市に遺贈された。セルヌスキが亡くなった2年後1989年から一般に公開され、それ以降もコレクションを増やし続けている。 前回工事が行われたのが1962年。今回40年ぶりの大改装工事では壁を取り払って展示スペースを広げたり、自然光をふんだんに取り込む工夫をしたりと大きく手が加えられた。コレクションは中国の先史時代の墳墓からの出土品に始まり、13世紀までの陶器や青銅作品が中心。紀元前に始まる秦、漢王朝時代、8世紀唐時代、11世紀殷時代と、それぞれの部屋に中国王朝の名が付けられていて時代を追えるようにわかりやすく作品が配置されている。18-19世紀の日本や朝鮮のコレクションにも優れたものがある。中でも最も大きな作品で、美術館のシンボル的存在である仏像は日本からやって来た。高さ4.4メートル、18世紀に鋳造されたこの青銅製仏像は、セルヌスキが東京・目黒を訪れたときに火事で焼き出された蟠龍寺の仏像を買い取ったもの。地元では大層親しまれていた仏像で、町の人々は買い戻そうとしたが無理だったのだそうだ。 こぢんまりとした規模だが、これからはパリ巡りのレパートリーに加えたい美術館。モンソー公園の緑とも美しく溶け合い、小さな宝石のようだ。(仙)
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7 avenue Velasquez 8e M。Monceau |
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●太田美術館所蔵大浮世絵名品展 東京都太田記念美術館所蔵作品から浮世絵版画80点、掛け軸や屏風の肉筆画50点を展示。浮世絵の祖、菱川師宣から歌麿、写楽、北斎、広重の秀作。8/15迄(火休)。 ギメ美術館 :6 place d’Iena 16e ●L’Homme et ses masques ●Translation ●Martin PARR (1952-) ●Doisneau chez les Joliot-Curie ●Chaplin et les images ●Peintres voyageurs romantiques au Bresil |
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