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月14日から11月12日までの210日間で、5100万人の入場者を記録した。当時の国勢調査によるとフランスの人口は3800万人だったというから、現在の万博とは比較にならない人気だ。鉄道などの交通網、レストラン・ホテル業、商店や劇場などにも莫大な収益をもたらした。この万博の目玉は、グランパレとプチパレの建設、地下鉄(Métropolitain)の登場などだったが、大寒波や作業中の事故多発で、万博前に唯一完成したのはアレクサンドル3世橋のみだった。グランパレ、プチパレは、1855年のパリ初の万博会場だった建物が取り壊され、その跡地に建てられた。両パレでは主にフランス美術の回顧展が中心だった。
1878年の万博の時に建設されたトロカデロ宮の庭では、各国の工芸・テキスタイルのパビリオンのほかに、リュミエール兄弟やゴーモンがフランスの各地方で撮影した映像を流すスペースも設けられた。
今は美術館になったオルセー駅。1900年当時はもちろん駅として使われていて(1939年に廃線)、この万博の記録的な動員に貢献した。
アンヴァリッド前。当時の服装に注目。
全長60mの巨大な望遠鏡。
万博に間に合ったアレクサンドル3世橋。
セーヌ川(ブランリー河岸)を縁取るように各国のパビリオンが建設された。写真に見られるような連絡船が入場者の移動に大活躍。
9月22日、式典の一環として、政府は仏全土の市町村長を昼食会に招待。2万2000人がチュイルリー庭園へ。庭園のほぼ全面積が二つの巨大テントに包まれた。なんと4800人ものウエーターが給仕する中、招待客は祝宴を楽しんだ。
プチパレ。
グランパレ。