予算半減で(それだけではないだろうが)、ほとんど見るべき現代美術展がなかったポンピドゥー・センターで久しぶりに刺激的な展覧会を見た。多くの示唆を含んでいる展覧会として、残り日数わずかだがぜひおすすめしたい。 ここでいうディオニソスとは、むろんギリシャ神話に出てくるあの狂乱恍惚的な半神半人、酒の神バッカスのことだ。バッカス的精神に対する関心は、ニーチェの『悲劇の誕生』に明らかだが、古来から芸術を活性化する要素だった。この精神は現代社会、少なくとも芸術にバイタリティーを取り戻せるか? コミッショナー、クリスチーヌ・マセルの「悲劇的なものは歓喜である」とドゥルーズの言葉を引用しながら発する問い、つまり今日の「ポスト〈ポストモダン〉といわれる時代的文脈の中で、1989年以降、そして9・11以降、芸術に展開が見られるのか」という問いに答えようとするアーティストたちの挑戦でもある。それはここ10年ほど、美術シーンで大きな動きが見られず、表現自体が困難な状況にあったからでもある。 ジェイソン・ローデスとポール・マッカーシーの共同作業は、男根を思わせるオブジェを工業的手法で無数に作り出す。それは今日の産業の過剰生産を思わせる。マレイチ・フェイレルは縫製工場を再現する。それはサンドニ門の裏手にある非合法の縫製工場を彷彿とさせる。マーチン・カーセルは自然と日常品とを過剰に交合させた大きなオブジェを回転させる。クリストフ・ブッシェルは、冷凍庫内部でロック・コンサートを催し、その後そこに残されたすべてを冷凍した事後を作品として提示している。トーマ・イルシュオルンは巨大なケーキとスプーンで、水や食料を求める「南」を思い浮かばせ、あらゆる現代社会の問題を過剰なまでに膨大な資料の山として提出してみせる。 表現の過剰さと執拗さは、美学や作品の質という問題を越えて、今日的問題を一挙に目の前に現前させる。過剰さを持って過剰さを切るのだ。これは明らかに従来の美学や反芸術に陥らない批判的アプローチともいえる。過剰さは生き延びる方法になりえるだろうか?(Kolin) |
C: Centre Pompidou, Jean-Claude Planchet |
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Embargo オーナーのバルバラ・ゴッドフロワさんが選んだ約15人の工芸作家の作品を展示している。日本なら地方都市にもあるこうした工芸ギャラリーは、フランスでは意外に少ない。 素材も個性も違う作家たちの作品の共通点は、シンプルで洗練されていること。一見アフリカ風だが、アフリカの工芸とは違う味わいがある。作家はほとんどフランス人だという。 6年間広告代理店に勤めたバルバラさんは、30歳を機に独立を決意。昨年開店した。アジア、アフリカ、中南米旅行から得られたものが熟し、彼女の好みと合わさってできたようなギャラリーだ。 おつまみ入れに使えそうなコラージュの紙皿、日本の作家の屏風、半貴石を使ったシックな首飾り、金属の家具、陶器など。いずれも一点ものや少数限定の作品で、値段は25ユーロから。ランチョンマットやサラダ用フォークなど、普段の生活を楽しくしてくれるものも揃っている。 5月はカリグラフィー、6月は彫刻と陶芸展を予定。(羽)
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2 rue de Lesdiguieres 4e 01.4277.7496 |
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●Poulies secretes 西アフリカの一部では昔から、機織で使うプーリーと呼ばれる木製の道具に人物や動物や抽象的な意匠を彫刻してきた。コートジボワールのバウレ族、マリのドゴン族などの人々が作ったプーリー約70点から放たれる豊かなイマジネーション。5/21迄。 Galerie Renaud Vanuxem: 52 rue Mazarine 6e ●Draw! ●Tony Oursler (1957-) ●Estampe et Bibliophilie ●Adriana Varejao (1964-) ●Matisse, une seconde vie |
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