Moolaade

 年を重ねますます映像に冴えを見せるイーストウッドは驚異的。だが、今年82歳のブラック・アフリカ映画の旗手、セネガル人ウスマン・センベーヌ監督もすごい。物語のシンプルな強さが、余計な装飾を退ける忘れがたい一作。
 女児4人は清めの儀式(陰核切除)から逃れるため、村の女コレ宅に身を寄せるが、伝統と権威を振りかざす村人らの感情を逆なですることに。タイトルの「Moolaade」は、何人も侵すことのできない保護権のシンボルで、村人の侵入をかわすためコレが戸口に張った神聖な縄を指す。そういえば一貫して社会や伝統の欺瞞を告発してきた監督自身も、映画表現の回りに縄を張ることで、言論の自由のための保護権を求めてきたのだろうか。(瑞)

●Avanim
 マルセイユに生まれ、NYで監督デビューし活躍してきたラファエル・ナジャリの長編4作目の舞台は、イスラエルのテルアビブ。
 愛人との情事、仕事、子供の世話に家事、そしてユダヤ教の安息日という日々を、淡々と繰り返す主人公ミシャルの人生が、愛人がテロ事件に巻き込まれ急死することから大きく揺らぎ始める。ナジャリはミシャルの心情を細かく描きだそうとはしない。無口で無表情のミシャルは、宗教と家族のしがらみの中で自分が信じる道を見出していく。
 「Avanim」とはヘブライ語で「石」を意味する。ミシャルが投げた石は騒ぎを引き起こし、ミシャルに投げられた石が友人の死を招き、その友人の墓にもまた石が置かれる、と「石」は象徴的に使われる。本作は去年から続けて公開された『Mon tr市or』(K・イェダヤ監督)、『Prendre femme』(R・エルカベツ監督)と並び、イスラエル女性の新しい肖像をみごとに描き出している。(海)
●De battre mon cマur s’est arrete
 手荒い不動産業に手を染めるトムは、突如ピアノのコンクールを目指し猛特訓を始める。全身の血が絶えずリズムで波打っているような青年トムを、ロマン・デュリスが好演。彼の熱に感化されたように大胆に震えるカメラも、嬉々として光や闇に包まれた世界を切り取ることをやめない。ジャック・オディアール監督の新作が放つのは、生の鼓動そのもの。これを観たら、わけもなく、居ても立ってもいられない。(瑞)

●Before sunset
 1995年に公開された『Before sunrise』の続編。とはいえ、単なる続編とは言いかねる新鮮さと魅力がこの作品にはある。かつての恋人同士(J・デルピーとE・ホーク。脚本にも参加)が、パリの街を散策しながら昔、現在の悩み、未来について語りあう。状況設定と会話の妙が功を奏した佳作。監督はリチャード・リンクレーター。(海)


Jacques Audiard
 『De battre mon coeur s’est arrete』が公開中のジャック・オディアール監督。葛藤を抱えた男性陣が魅力的な彼の作品群に、「駄作」の文字はどこにも見当たらない。
 1952年、パリ生まれ。父親は、監督で脚本家のミシェル・オディアール。幼い頃から映画の世界は身近だったが、「父親の仕事、特に監督としての仕事は好きでなかった」と手厳しい。モーリス・ブランショに心酔し、教職を目指すも断念。だが言葉への興味は、彼を脚本家として目覚めさせることに。
 80年代は多くの脚本に参加し、たちまち売れっ子に。その後、シナリオ製作目的でプロダクション会社を設立。だが、どんなに愛着のあるシナリオも、監督の手に渡れば自分の役目は終わり。「自分の物語に最後まで寄り添いたい」。そんな思いが、彼を監督業に駆り立てる。94年、40歳の時に新世代のフィルム・ノワールともいうべき作品『天使が隣で眠る夜』で監督デビュー。本作でセザール新人監督賞を受賞。その後も『Un heros tres discret』(96)、『リードマイリップス』(01)と、ジャンル分けを拒否する秀作群を発表。私生活では、マリオン・ヴェルヌー監督とのおしどり夫婦ぶりが有名。98年には、一緒に『エステサロン ビーナス・ビューティ』の脚本も手がけている。(瑞)