Henri Cartier-Bresson — 世界を新しい眼で切り撮ったカルティエ=ブレッソンが亡くなった。

 「常にカメラをはなさず、私の視線は生と絶えることのない関係を持ち続けた。そう、カメラで匂いをかぎまわっていたんだ」。しのび足で対象に近づいて、外国にいてもそこの空気のようになって、一度見ただけでボクらの記憶の奥底に焼き付いてしまうような写真を撮り続けたアンリ・カルティエ=ブレッソンが、8月2日、ヴォクリューズ県の小さな町で亡くなった。95歳。
 1908年パリ郊外で生まれる。10代後半にはシュルレアリスムに惹かれ、1927年から28年にかけて絵を習う。瞬間をとらえた写真とは思えないような、構図の正確さには、常にこの「画家の眼」があった。1932年にライカを手に入れる。1934年には、メキシコに渡り、愛し合う二人の娼婦などの傑作を撮る。1940年にドイツ軍の捕虜になるが3年後に脱走、レジスタンスに入る。1947年にはロバート・キャパらと写真家集団〈マグナム・フォト〉を設立。1948年から3年かけてインド、中国などアジアへ。1958年には日本も訪れた。その後も積極的な写真家活動を続けていたが、70年後半からは再びデッサンを描くことに専念。「写真は一瞬のアクションだが、デッサンは瞑想だ」。1994年に、写真のスタイルは違ったが仲のよかったドワノーが亡くなる。埋葬の時、カルティエ=ブレッソンは墓穴の前に立ち、リンゴを半分かじり、残りを墓穴に投げ入れたという。
 「私は人々が通りで自由に動き回っているのを見ていたいんだ。そして邪魔にならないようにしながら、そんな人々を写真におさめたい」という人間愛は、晩年になっても衰えることはなく、パリ郊外にあるフルリー・メロジス刑務所の写真教室の先生になったり、不法滞在の外国人たちを一人の友だちとして支援したりしていた。(真)