二組の男女がいる。一組は「カップルについての劇」を観に来た恋人同士で、男の浮気(しかも相手は女の親友ときているから大変 !)を知った女は、他の観客たちの前で怒りを爆発させる。もう一組は、その劇を演じる役者夫婦で、長年仕事と生活を分かち合い、倦怠期に陥っている。そして二組目のカップルが演じる劇の中には、また別のカップルたちが登場し男女の恋愛関係はいろいろで、どれひとつとして似通うものがない。劇場という設定の限られた空間の中、すべての「男」役を演じるアラン・サックス(原作者でもある)と、すべての「女」役を演じるクリスチーヌ・ミレは、演劇と現実(といっても本当はすべて演劇の中なのだ)の間をさまよいながら、アダムとイブの時代から現代までの男と女の愛の駆け引きを、テンポよく見せていく。(海) |
*Theatre Petit Hebertot : 01.4387.2323 2004年1月3日まで |
●Devinez qui? アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の舞台化。フランス語での原作名は『Dix Petits Negres』だけれども、この舞台では『Dix Petits Chats』。10匹の子猫ちゃんたちが何者かの餌食となり、一匹、また一匹…と殺されていく。マザーグースの歌(童話にしろ童謡にしろ、昔は残酷なものが多かったな~)が次の殺しのカギを握り、そして殺しの前後には暖炉上にある猫の置物が犠牲者の数だけ消えていく…。 結末はわかっていても手に汗を握ってしまう。誰もが暗い過去を抱えているから目の前で起こる殺人事件に対してさえ一種の罪悪感を持ち、次の殺人におびえ、犯人がわからないから他人に対する猜疑心がつのる。個々の複雑な心情、緊迫した人間関係、そして「誰が?」という最大の謎が舞台に緊張を与え、ところどころ盛り込まれたユーモアがその緊張を時々緩める。よくもこれだけ揃えたな、という顔ぶれの役者たち10人は、大戦に近づく1930年後半のイギリス社会の混沌を垣間見せる。原作がいい、ということもあるけれど、舞台化に着手したセバスチャン・アゾパルディの筆の力にも拍手を送りたいし、ベルナール・ミュラ(最近ヒットばかり飛ばしてますねー)の手堅い演出にも「さすが!」と感服する。(海) |
*Theatre du Palais Royal : 01.4297.5981 |
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Dance | |
●勅使川原三郎《Bones in pages》 『ページの中の(にある)骨』というタイトルは彼の詩想そのものである。勅使川原三郎は、振付のみならず舞台装置から衣装、音楽まで自身のコンセプトを貫くマルチアーティスト。自己表現として彫塑を学んでいたころ、なによりも直接に関わることのできる自らの身体を素材に選んだ。舞踊の基本であるクラシックバレエを身に付けるかたわら、舞踏家大野一雄のもとに赴くなど、彼独自の舞踊作品のありかたを探っていく。 ひとつの生命体である人間として、自己を取り巻く空気を感じ取り、そこに戯れる。その空間のなかで身体は、時には硬直し、そして溶けてゆく。記憶、時間は己の身体空間に存在する。彼の創作の原点をうかがえるソロ作品。(珠) |
19日~22日/20h30 9/14/18euros *Maison des arts Creteil : pl. Salvador Allende 94000 Creteil 01.4513.1919 M。 Creteil Prefecture |
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