あかの他人同士が惚れ合い、一緒になる。相手を知ろう、相手から好かれたい、という気持ちがあるうちは互いに刺激を与え合うからいい。けれど長年連れ添ううちに互いが「空気か水のような存在」となっていく。この戯作では、そんな倦怠に陥った男女のある一日が描かれる。相手を驚かせようと口から出た「別離」という言葉が男女の危機を招く。時代は現代でも、こじれていく男女間の「本音とたてまえ」のかけ引きは、マリヴォーの時代と同じだな、と思う。 恋愛の機微とは? 一人の相手と長続きする秘訣は? ここでは “seduction” という言葉が大きな鍵になる。相手を惹きつけるためには自らの努力が必要だし、単調な生活を変化させるには、ちょっとした工夫や驚きが必要なのだ、と日ごろ忘れていたかもしれない、でも当たり前のことを教えられ、我が身を振り返る。 この舞台は、今年のモリエール賞の9部門にノミネートされ、5部門(新人男優&女優賞、創作劇、民間劇場劇、演出)を獲得している。劇場も小さいし、役者たちも無名、でもいい台本にいい役者、アイデアがあれば成功するし、正当に評価される、というのは素晴らしいことだ。息のあった5人の役者たちの軽妙な会話を楽しみたい。(海) |
* Theatre La Bruyere: |
●Papa doit manger 女流作家としてはコメディー・フランセーズ史上初めて定期上演目録に入ったマリー・ンディアイのこの戯作、その主役を、マリ人として、この演劇の殿堂史上初めての専属役者となったバカリ・サンガレが演じる。モリエールやラシーヌなどのクラシック作品とは一線を画した、独特の人間ドラマが展開していく。 話はこうだ。10年間も行方不明だった一家の主が、ある日ふらりと家へ戻ってくる。幼いときに別れたきりでまったく記憶にない「パパ」に、娘たちはとまどい、女手ひとつで苦労した母親をかばう。母親=妻は、懐かしさと嬉しさのあまりこれまでの労苦を忘れ素直に喜ぶが、彼女の新しい恋人や家族の反応は芳しくない。パパだというが、ホラばかり吹くこの男は本当に自分の父親なのか? という疑問が娘の頭をよぎる。その疑問を背負ったまま、娘は大人に成長する。父と娘、夫と妻、の関係はいずれも少し甘酸っぱくてほろ苦い。娘に拒まれた父親は笑顔を見せながらも背中で泣いている。人間の寛容さとは何だろう? 考えさせられる作品だ。6月22日まで。 |
*Comedie Francaise: Salle Richelieu
01.4458.1515 |
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Dance | |
●Caterina SAGNA《Relation Publique》 スペクタクルって?という問いを持った、世の中での「文化のつくられ方」のからくりへの批判精神に満ちた作品だ。タイトルのとおり、劇中劇の形で「あるダンス作品」の紹介解説が始まる。いかにも、のコメンテーター、振付家、そして「身体を存在させる側」のダンサーたちの反発。ダンスを含め、アート全般にいえる「美の追求者」という幻影だけで創作は成り立たず、創作の規模が大きくなればなるほど本来の理想とずれていくものだが、情報社会の中では、そもそもその矛盾をひっくるめた状況こそがその本来なのであり、そこの意識なしに表現は真のものにはなりえない。前作ではなんと教育(しつけ)をテーマに創りあげた彼女。ユーモアがありキツさのないアイロニーが、その純粋さとともに引き立っていた。(珠) |
17日~21日/ 20h30 11€/15€ *Les Abbesses: 31 rue des Abbesses18e 01.4274.2277 |
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