耳をつんざくような音楽と掃除機の騒音の中で、若い優男と少し年配の小柄な男が言い争いをしている。どうやら二人は恋人同士らしい。そこへ肌もあらわに、小太りの女が若い男を連れて駆け込んでくる。この女はカップルの隣人ダフネで、異様なほどヒステリックだ。そして女装した毛深い男ミシュリーヌがご馳走の詰まった大きな箱を抱えてやってくる…、そう、今日は12月31日、巷は大晦日のパーティーの真っ最中。少しずつ互いの関係が見えてくる。皆、チュイルリー庭園で体を売っている顔見知り、多かれ少なかれ酒と麻薬とセックスに溺れている。 祭りは佳境に入る。真っ黒焦げになってしまった子羊の腿肉は、ねずみを詰めた蛇の丸焼きにメインディッシュの座を奪われ、アメリカで父親と休暇を過ごすはずのダフネの娘は、死体となってダフネの旅行かばんの中で眠っていることが発覚し、向いの高層ビルがめらめらと燃え始める… はじめてコピの戯曲に出会った時のような鮮烈な印象をこの舞台から受けた。今では伝説となってしまったけれど、コピ自身が上った舞台だったらきっとこうだったのかもしれない…というような臨場感と、背筋にぞくっとくる凄みがある。酒、麻薬、セックスに人はなぜ溺れるのか? 人はなぜ愛を必要とし、孤独を嫌うのか? 目にも耳にもうるさくて決してスマートではないけれど、コピの舞台を観ていると人間の本質に触れている、と思う時がある。どろどろした人間の血や感情がいっぱい詰まったコピ劇の真髄を、演出のクリストフ・レイモンはしっかりとつかんでいる。役者たちも「いかにも」の風貌と演技で大満足。(海) |
* Theatre de la Tempete Cartoucherie: |
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●Hilda 男は、苦しい家計を救うため、妻ヒルダを家政婦として働きに出すことを承諾するが、やがて自分の決断が誤っていたことに気付く。なぜなら雇い人は、妻を自分の所有物とみなしてプライバシーにまで口出しし始めたからだ。女主人のわがままに振り回され、相次ぐヒルダの不在から家庭は崩壊を迎えるが… ヒルダは主人公なのに決して姿を見せない。ヒルダの容貌、性格、一挙一動は、女主人と夫の間で交わされる会話の中で描かれていく。ヒルダが見えないからこそ、女主人(ザブー・ブレイトマンの迫力には脱帽)が夫に浴びせる言葉の中に含まれる駆け引きや脅迫、そして残酷さが、さらなる重みを持って迫ってくる。最後のシーンでヒルダに化け、得意げに笑う女主人を見た時、すべての謎が解ける。女主人はヒルダに乗リ移った怪物、グロテスクな生き物…奇妙な戦慄が背筋を走るのを抑えることができない。原作はマリー・ンディアエで、演出はフレデリック・ベリエ=ガルシア。 *Atelier : 01.4606.4924 |
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● Conversation avec mon pere マンハッタンでカフェを経営するポーランドから移民してきたユダヤ人の男(クロード・ブラッスール)の一代記が、二人の息子との関係や、カフェの常連たちとのやりとりを盛り込みながら描かれていく。移民からいかにアメリカ国民になるか、アメリカ国民になってもユダヤ人であるということを忘れないためには…男の自問は子供たちへの教育に反映する。子供たちの反発、父と子の衝突、訣別…ハーブ・ガードナーの原作をジャン=クロード・グランベーグが脚色し、マルセル・ブリュヴァルが演出している。休憩なしの3時間は少し苦しいが、ブラッスールと脇役たちの素晴らしい演技に出会えてまあ満足。 * Porte Saint-Martin / 01.4208.0032. |