「私が愛したこの職業にお別れをいうことにしました」。モード界の王子様、イヴ・サンローランがオートクチュールをやめる。プレタポルテも香水もアクセサリーもメガネもつづけるのであれば、さて何が問題なのだろう? サンローランは1962年に初めてのショーを行い、1966年にはサンローラン・リヴゴーシュを開店するが、1998年からはエディ・スリマンがプレタ・オムのデザイナーを、1999年にはアルベール・エルバスがプレタを担当したりした。そして現在、アートディレクションはグッチの救世主的スターデザイナー、トム・フォードが指揮をとっている。 YSL プレタと香水部門はグッチグループに属し、グッチはPPRグループ(Pinault-Printemps-La Redoute)にホールディングされている。フランソワ・ピノーはグッチの53.2%所有者で、1999年にグッチがYSLを7千万ドルで買い取る前は、石油グループElf社のマックス・ロビンソンによる経済的立て直しの介入を受けていた。PPRグループはYSLのオートクチュール部門もホールディングするなど、仮面の下は複雑だ。そのピノー氏に今回サンローランは「速やかに厳かに終止符を打たせてくれた」ことへの感謝の念を述べている。 ここ何年か存続の意味や利益の論議がなされてきたオートクチュールは、20世紀のモードの美の粋を極め、クリエーターたちが才能や欲求を経済的拘束なく発揮できる唯一の場だが、15年前には25あったのが、現在ではYSLが下り、11のメゾンが発表するのみになっている。存続のための合併とはいえ制約や義務が課せられる系列化は、自由なクリエーションにはネガティブな要素になり、クリエーターたちはのれんは残しながらも実質的には去らざるをえない、もしくは妥協しながらということになってしまう。 しかし1月7日の引退記者会見で、サンローランは「昔から習いたかったデッサンをしたり、エジプトやインドを旅行したい」と語った。生前のナタリー・サロートをして「文章を書けば、今よりもっと有名になる」といわしめた文才もあるらしく、現65歳、40年のキャリアを一変して第二の人生を踏み出したい、というオプチミストで謙虚な姿勢だった。 1月22日のポンピドゥ・センターでの回顧的ファイナルショーは、2000人の招待者に300着、最後には200人のモデル全員が黒のスーツを披露。フランスのシンボル女優モデルのレティシア・カスタと6区YSLブティック真向かいに居住し、YSLの長年のミューズであるカトリーヌ・ドヌーヴを両手に、サンローランはモード界に涙のアデュを告げた。(麦) |
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サンローラン豆知識 1936 アルジェリアのオラン市生まれ 1954 オートクチュール組合学校卒 クリスチャン・ディオールのアシスタント 1958 C・ディオール死去 ディオール主任デザイナー 1962 YSLブランド 初ショー 1964 初香水”Y” 1965 モンドリアン・ワンピース 1966 YSL Rive Gauche開店 、女性用スモーキング、ポップアートルック 1967 三つ揃いスーツ 1968 サハリルック 1974 ロシアバレエルック 1995 レジオンドヌール第4等勲章
香水の数々
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