フーコーが、近代における権力の構造を、理性によって自発的に服従する「権力の自動化」と暗示したのは、パノプティコンと呼ばれる刑務所の構造からであった。一望監視施設、つまり中央から常に監視されている、と思う心理を中心とした自動服従システムは、いかに合理的に人間をコントロールするかを前提とした西洋の近代化のキーワードといえる。
現在ルーブル美術館で開かれている企画展「犯罪としての絵画、近代化の呪われた部分」は、これらに代表される近代化に潜む闇の部分を絵画表現から読み解いてゆく試みだ。より完璧な技術の修練が全てであった美術史に自我の芽生えの見られる18世紀から、コンセプトが優先される現代までを、ヴィジョン、フィクション、アクションの3章で見せてゆく。
ゴヤやブレイクの作品の中に見られるタブーや恐ろしさについて考える時、またルドンの歪んだ器官を見つめる時、ウィーンのアクショニストたちの徹底的な挑戦に圧倒される時、常に身体の問題がクローズアップされてくる。文明を通じて身体性を排除してゆくことが人間の科学的啓蒙(=近代)であり、特に性は社会制度として管理されてきた。その中で、枠を超えるような芸術的行為は、自然に犯罪性をおびる結果となったといえる。
今でこそ表現の自由や開放に誰も疑問を持たないとしても、ストイックなキリスト教を基盤に持つ西洋の中で、これらの作品は未だに新鮮な衝撃を与え続ける。しかし近代化は、バタイユいわく「呪われた部分」しか与えなかったのだろうか? いや、この精神は、テクニックのみに焦点があった美の歴史にひとつの深い影を与えたはずである。影を持ち得た絵画は、ここで生身の人間のように独り立ちできたともいえるのではないだろうか。
また本展で壁に書かれたテキストは、解説ではなく、一つの作品と同様に解釈される。レジ・ミッシェルによるオリジナルテキストを会場で味わう点ではむしろ大きな本を読んでいるような感覚に近い。息を呑むような響きを持つタイトルや独自の論点は大変興味深いが、かなり照明を落とした空間で、作品を鑑賞するのと並行して長い文章を読み続ける作業は少々つらいかもしれない。(礼)
*ルーヴル美術館:Hall Napoléon
1月14日まで(火休)25F
William Eggleston展
アメリカ人写真家ウィリアム・エグレストンは、コンテンポラリーカラーフォトアートの先駆者といわれている。この回顧展には、カルティエ・ブレッソンとエヴァンスに刺激を受けて撮り始めた60年代の白黒作品から、1976年ニューヨーク近代美術館で行われた個展の展示作品、そして今年秋に初めて訪れた京都で撮影した最新作まで、250点が展示されている。
76年のエキスポジションはフォトアート界に決定的な影響を与えた。当時はカラー写真は通俗的であり、芸術写真は白黒でなければならないという風潮があった。だが彼の作品は、カラー写真をアートとして確立させたのだった。
三輪車、誰もいないシャワールーム、テーブルの上の食べ物などが語ろうとする日常性を、「虫のような視点」と本人がいうどこか不安定な構図(実際は緻密に計算されている)と、ダイトランスファー(転染法)で得られる強く深い色彩が、抽象化してしまう。反対に、被写体の意味とは独立して完結する構図と色彩に、極めて日常的なモチーフの物語性が混ざり込み、観る人に千差万別の印象を喚起する。
エグレストンは作品にタイトルをつけない。印象の広がりを限定するような説明を必要とせず、写真そのものが総てを語らなければ、それは「失敗」だと彼はいう。(仙)
*Fondation Cartier: 261 bd Raspail 14e
2/24迄(月休)
●<Batofar cherche Tokyo>
バトファールの7回目のフェスティバルは、東京がテーマ。101人のアーティストが10日間にわたって、最新の東京のアートシーンを紹介する。エレクトロ音楽、映画(ドキュメンタリー、アートビデオ)、パフォーマンスなど。12/7~16迄
Batofar: 11 quai Francois Mauriac 13e
(詳細はwww.batofar.org)
●Marlene DUMAS
南アフリカ生れ、現在はオランダで活動する女性アーティスト。内省的叫びが聞こえる初期作品から、内的存在「胎児」をテーマにしたデッサン、また、肉体そのものを秀逸したテクニックで描く近作の水彩画まで。12/31迄
ポンピドゥ・センター(火休)
●Steve McQUEEN
つけっぱなしのテレビにうっすら照らされたベッド、そこに眠る男。テレビからはアメリカンアーミーのドキュメンタリー番組らしき音が流れている…。現在における状況フィルム。若手ビデオアーティスト、マックイーンの近作。12/22迄
Galerie Marian Goodman:
79 rue du Temple 3e
●Kent KLICH<Les Enfants de Ceaucescu>
チャウシェスク時代、ルーマニアの小児科病院の子供たちは、強制収容所さながらの最悪な扱いを受けていた。1993年来イギリスの福祉団体ナイチンゲールの活動で一部改善されたにせよ、長かった悪政の影響は今なお根強い。そのような状況下で小児科のエイズ患者たちを撮影した写真。1/13迄
Centre culturel suedois:
11 rue Payenne 3e(月休)
●Don MacCULLIN/Marie-Laure de DECKER
戦後の代表的な二人のフォトジャーナリストの回顧展。60年代から戦争の有様を生々しく伝えようとしてきたMacCullin。66歳の今は戦場を離れ、「美」を印画紙に焼きつけようとする。初めてヌードを撮影した近作まで。Deckerは、著名人のポートレートを出発点に、戦場のフォトジャーナリストとして活躍した。1/13迄
Maison europeenne de la photographie :
5-7 rue de Fourcy 4e (月火休)
1968年、ベトナム–D.MacCullin
●<Strindberg, peintre et photographe>
スウェーデンの戯曲家ストリンドベリ(1849-1912)の絵画、写真作品。限りなく抽象に近い風景画は出色。1/27迄
オルセー美術館(月休)
●<Les Mondes Lumiere>
光を操るアーティストたちの作品展。鏡の中にどこまでも続く光の迷路、S. Sabat、F. Labbeのインスタレーションや、J-P. Poiree-Ville、P. Blancらの写真、ビデオ作品など。2/17迄(月休)
Espace Electra: 6 rue Recamier 7e