1961年10月17日になにが起こったのか?

「1961年10月17日、静かなデモ行進が流血の弾圧を受けた際に殺された、多数のアルジェリア人をしのんで」と記された慰霊プレートが、10月17日、サン・ミシェル橋のたもとに取り付けられた。
時はアルジェリア戦争さなか、「アルジェリア独立」デモに集まってきたアルジェリア人に警官が情け容赦なく襲いかかり、この橋からもかなりの数のアルジェリア人がセーヌ川に投げ捨てられた。パリ市内全体のアルジェリア人死者数については、30人から200人と歴史家によって数字がバラついている。弾圧を黙認した(采配をふるったという説もある)当時のモーリス・パポン警視総監がもみ消しを計ったこと、またこの弾圧の死亡者に関する報告が軍事秘密扱いにされていて歴史家も近づけないこと、などが原因だ。
この慰霊プレートについては、パリ市議会で保守派から「アルジェリア民族解放戦線(FLN)のテロで亡くなった警官も多いのに片手落ち」という反対の声も強かったが、ドラノエ市長の勇断が通った。
この日の夕方、1万人がデモ行進に参加。「1961年10月17日は国家犯罪」とシュプレヒコール、「真実解明」を訴えた。(真)

“A la mémoire des nombreux algériens tues lors de la sanglante répression de la manifestation pacifique du 17 octobre 1961”
(碑文)