2月も半ば、ウチのミミもパリの空の下、月明りのアパルトマンの屋根の上でカレシとの逢瀬に心ときめかし、メゾソプラノからソプラノへとミャオー、ミャオーを連発。鳥たちも、寒さがゆるみはじめるこの季節につがうので、フランスには「良いツグミは2月半ばに巣をつくる」という諺もあるくらいです。
ニンゲンさまのバレンタイン・デーをネコやトリといっしょにされてはこまると叱られるかもしれません。ごもっともです。
2月14日は、昔から独身男性が密かに、あるいは熱烈に愛している女性に、またはもうじき結ばれるフィアンセに愛のあかしとして、アムールのことばを記したカードやハート型のチョコレートなどを送るバレンタイン・デー。
この日、二人は愛で結ばれたバレンタインValentinとバレンチーヌValentineになるわけです。バレンタイン・デーはカトリック教徒のお祭りなので、英国などではむしろ「ロミオとジュリエット」デーの方がぴったりいきそう。でも英国に伝わるバレンタイン・デーの起源は、未婚の娘が2月14日のカリヨン祭 (教会の塔に吊された数十個の鐘を鳴らす大祝日)の日に、貴婦人をエスコートした騎士の中から”バレンタイン”を選び、騎士は自分を選んだ娘にプレゼントを贈るという中世の風習からきているようです。
教会でのミサの後、聖バレンタインの像をのせたトラクターを先頭に行進。 昨年末に発売されたペイネのデッサン入り切手。
聖バレンタイン (St-Valentin)。
827年に40日間だけ在位した同名のヴァレンティヌス(Valentin)教皇もいますが、どうもアムールとは関係ないようです。
ローマ帝国にキリスト教が徐々に根を張りつつあった250年代、当時のデキウス皇帝はキリスト教徒への迫害を強め、特に司祭・使徒への拷問、死刑に拍車をかけていました。ローマで殉教者となったカトリック司祭のなかに聖バレンタインがいたのです。
聖バレンタインは、底知れない献身的な慈愛を非信仰者、異教徒にもそそぎ、当時ローマの”貧者の父”として崇められていました。牢獄につながれたバレンタインは、ある日、牢番に「神の光を信じるなら、わたしの盲目の養女に光を与えてみろ」と言われ、2年前に失明した少女の目に手をのせ祈りを唱えました。
すると少女の目に光とともに色が、形が吸い込まれていったのでした。
269年2月14日、バレンタインはフラミニア河畔で斬首刑に処されました。以後、キリスト教国ではこの日を聖バレンタインの日と決め暦にも記すようになったのです。
どうして恋人たちの守護神に ?
聖バレンタインは中世時代から恋人たちの守護神として祭られていますが、どうしてアムールの守護神になったのでしょう。
まず思いあたるのは、序文でも述べたように、フランスでも英国でも立春(2月4日)後の2月14日前後に鳥たちがつがうことから、春を待ち望む恋人同士にあてはめたという説。
もうひとつは、ローマ時代からの祭である、2月15日のルペルカリア祭(多産祈願のため男が女をヤギの革ヒモで打ちながら追い回す)があまりにも野蛮なので、495年カトリック教会がこの異教徒の祭を廃止し、その代わりに聖バレンタインの日、14日を「恋人たちの日」としたという説もあります。
紅白のふうせんを手に手にしあわせいっぱいの行進者たち。 少年たちは蝶ネクタイにシルクハット、少女たちはビロードのドレスでおめかしし、寒さに負けずに花馬車で行進。
バレンタイン村を訪ねて。
世界中にバレンタイン村はいくつあるのでしょう。まずイタリアには二つ、サン・バレンチーノ村とサン・バレンチーノ・トリオ村があり、オーストリアにもサン・バレンタインという町があり、カナダのケベックにも同名の町があるそうです。
アムールの国フランスには? もちろん、中央部ベリー地方の片田舎にバレンタイン村 (サン・バランタンと発音) があるのです。見わたすかぎりの田園は一面、ビーツ畑に被われていて、居眠りしたくなるようなどこまでものどかな過疎地帯。
人口約350人のこの村では、第一次世界大戦前まではバレンタイン祭が盛大に催されていました。2月14日には村人たちが教会での早朝ミサに参列し、恋人やフィアンセたちだけでなく、銀(25年)・金(50年)・ダイヤモンド(60年)婚を迎えるシニアのカップルも司祭から祝福を与えられました。ミサの後、参加者たちは賛美歌を歌いながら村の小道を行進したものでした。
戦後、この習慣は跡絶えていたのですが、1965年当時のデオン村長が発奮しバレンタイン祭を復活させたのです。花屋や商店も協賛し、年々華やかなバレンタイン・グッズを売る露天商も道を埋めるようになり、隣の村や町からも恋人たちが集い、名実ともにバレンタイン村となったのです。
それに拍車をかけたのは、なんといっても “恋人たち”の絵で有名なレイモン・ペイネのデッサンでしょう。ペイネは毎年バレンタイン・デーにちなんだ絵を描いてはバレンタイン村に贈ったのでした。
現在、村を、そしてバレンタイン祭を取り仕切っているのは、ジャン=ジャック・ ルッソーではなくてピエール・ルッソー村長。名前からしてアムールの分かる村長だと察せられます。
きれいな造花で飾られた民家。