大統領の御曹子はらくじゃない。

 大統領とは故ミッテランのこと。彼の長男ジャン=クリストフ氏(54)は、父親の大統領時代の1986~92年、エリゼ宮直属のアフリカ関係顧問を務め、以来アフリカの首脳たちに “Papamadit (パパが言うには)” という別名で呼ばれていたくらい、アフリカ首脳にとっても重宝な前大統領の “ケサ” みたいな存在でとおってきた。
 そのパパマディが、「武器密輸共犯、特命任務者としての職権乱用、会社財産濫用隠匿」等の容疑のほか、彼のスイスの口座に武器輸出会社ブレンコ社から1300万フランが送金されていたことについて取り調べられ、12月21日サンテ拘置所に勾留。クリスマス直前のこのニュースに国民は、ミッテランご子息が警察沙汰 ? とフォアグラといっしょに砂利を噛む思い。
 母親 (ミッテラン未亡人) による再三の保釈要求にもかかわらずパパマディはひとり独房で年を越し、1月2日、控訴院審査部は保釈金額を500万フランと定めたが、「そんな金はない」と保釈を拒否。11日、母親が裁判所に500万フランを届け、ようやく釈放された。
 ジャン=クリストフ・ミッテラン氏にまで調査の手がのびたアンゴラへの武器密輸疑惑の主要容疑者 P. ファルコーヌ (ブレンコ・インターナショナル社長)は、1993-94年度脱税調査から足が出て12月1日以来勾留中。ブレンコ社で押収されたフロッピーディスクには、パスクワ内務相時代1993年仏アンゴラ安全保障協定の調印後、ブレンコ社が関わったアンゴラへの武器密輸への関与が疑われる、パスクワ側近政治家から仲介者パパマディや流行作家で実業家のシュリツェール氏(同社から200万フランの謝礼の疑い)まで名前がズラリ。

 アンゴラは1975年にポルトガルから独立し共和国に。70-80年代米・ソ・キューバ・南ア入り乱れての冷戦後、ドスサントス大統領政府軍とUNITA (アンゴラ全面独立民族同盟)との内戦に明け暮れる無法地帯アンゴラは、武器輸出業者にとって絶好の市場。4大陸を股にかけるファルコーヌは、当時アフリカに関しては泣く子もニッコリするパパマディと親交を深め、彼を介しアンゴラ大統領に接近。同時に、他国製武器を含め武器の輸出を監視する内務省所属の「武器・軍事技術輸出仏公社Sofremi」のアンゴラ駐在顧問となった。その後、ロシア系成金A.ゲダマク容疑者(12/6日国際指名手配)と組んで、1993 – 94年に5億ドル相当のロシア製武器や戦闘機をアンゴラ産原油と交換に密輸。アフリカだけでなくアジアにまで手をのばす”死の商人”に成り上がっていった。

 70年代以来内戦と反乱で数百万人の住民が虐殺されてきたアフリカを舞台に、元内務相パスクワ網と前大統領を核にしたパパマディ網が錯綜しながら織り成してきたフランスのアフリカ軍備協力態勢。

いまや、石油、武器、ダイヤなど金になるものなら何でも商う国際成金が幅をきかせるご時勢、彼らと仏政財界人との癒着から出たウミがパパマディの取り調べを機に噴き出したといえよう。(君)


 

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