冬は文学賞の季節。

Je m’en vais, Jean Echenoz
editions de Minuit, 1999 : Prix Goncourt
 地図で北極はなかなか見づらい。それは世界地図の上部にある直線であるか、飛行機から見るような一つの点でしかない。前者の場合は側面しか見えず、後者の場合はそれを見おろすことしか出来ない。いずれにしても、それと面と向かうことは難しい。そこに1957年に遭難した貨物船とともに貴重な古美術品が沈んでいる。この小説は、その美術品を探しに出かけるパリ在住の美術商の話だ。
 切れの良い文体は、最初、北極の白さや寒さとパリの都市生活の冷たさとに見事に韻を踏ませ、この二つの地点が交互に語られることも、そのリズムの切れ味をよくしている。そして小説の後半では、美術商の様々な情事、盗難、殺人、追跡などによって、文体のリズムの質が変わっていく。
 地図作りの原則の三点測量のように、こうした様々な点を直線で繋いでいきながら、この小説の地球は丸くなっていく。軽快に進む文体と、パリ−北極−スペインを「巡る」物語はyぢその小説的地球の丸さを見せていく。つまり、この地球は自転しているのでなく、その上を駆け巡る語りと読みがこの地球の上を回るのだ。

Anchise, Maryline Desbiolles,
editions du Seuil, 1999 : Prix Femina
 この作品はyぢニースのはずれ、南仏の田舎が舞台だ。第一次大戦では父、第二次大戦中には妻、そしてその後母も亡くしたアンシーズはそこに住んでいる。この小説はこのアンシーズの記憶を描いているのだがyぢ「何も忘れることが出来ない」彼は、それ故に「何も思い出すことが出来ない」。記憶は過去の出来事のそれなのだが、それは現在にある記憶、今の生の記憶なのだ。こうした記憶の二重性が作品に独特の雰囲気を与えている。
 一方では、暗さ、淋しさめいたものがある。つまり避暑地とか輝かしいイメージではなく、老人が多い田舎というイメージのニース、そこに住む老人たちの生活yぢ彼らの過去の回想。しかし他方では、この小説で語られる記憶で描かれる過去は輝かしい。そこでは、特にアンシーズの妻が中心にある。アンシーズが最初に彼女を見たとき、二人の最初の出会い、二人で過ごした夜、二人の最期の散歩…。愛に歳はなく、時間もない。愛は感情、感情で動かされる行動の中にあるだけではなく、記憶の中にもある。そういう意味でこの小説は恋愛小説といえよう。

 

Mon grand appartement, Christian Oster
editions de Minuit, 1999 : Prix Medicis
 「私の名前はガヴァリンといいます。ちょっと話したいことがあります。」と始まるこの小説は、彼の人生の七日間を語っている。
 そもそもの始まりは、彼がアパートの鍵をなくして、家に帰れなくなったことである。が、彼にとっては鍵の紛失よりも、家で待っているはずの恋人が消えたことよりも、その鍵を包んでいたハンカチをなくしたことの方が痛手である。
 こうして語り始められるこの小説では、大きな事件はこの鍵-ハンカチの紛失くらいで、その後「私」に起こる出来事は全て、日常的時間の流れの中で自然にあらわれるものだ。こうした「何も起こらない」日常を語るこの小説には、突発的事件が起こらないのはもちろんのこと、感情のうねりもなく、哲学的考察もなく、描かれる人物同士の間の対話も語り手の独白で中和されている。ここで語られているのは我々の日常であり、その日常の中で我々が思うことである。例えば、プールの更衣室の狭さは誰でも思うことだろう。どうやって狭い更衣室の中で両足をきれいに拭けるか、まだ濡れている足にうまく靴下をはかせられるか、とは日常の体験だ。
 こうした「何もない」日常も、小説家の手にかかり、エクリチュールによって変容されていることで別の側面、つまり読書の快楽を産んでいる。ザクザクと切られる文体は、日常の単調さを表すとともに、日常と日常の思考の不均等性を表し、日常のそうした人間らしさを喚起しているといえよう。(岳)