頭をなくしたら命に関わりますが、これは、年とともに物忘れがひどくなることを意味する表現です。《Je perds complètement la tête, moi, en ce moment ! 》、《A mon âge je n’ai plus toute ma tête 》、《J’ai vraiment la tête ailleurs ! 》、《Je n’ai plus la tete sur les epaules》などと耳にするように、物忘れの仕方もさまざま。完全に頭をなくしたり、頭の一部が欠けてしまったり、頭がどこかに行ったり、肩の上から消えてしまったり…。これがひどくなると《Mais qu’est-ce que j’ai fait de ma tête ? 一体全体、私は頭をどうしてしまったのだろう?》 でも、物忘れの言い訳に便利だからと多用してはいけません。
《Il est complètement fou celui-la ! Il a perdu la tête ou quoi ?! 》 というように “perdre la tete” には狂ってしまうという意味もあります。これには”perdre la raison” という言い方もありますが、”la raison 理性”を絵にするのはむずかしい!
子どもの時に《Il ne faut pas laisser les portes bailler ! ドアをアクビさせたままにしてはいけません!》
とよく言われました。ドアに口や手があるわけはないし、眠たくもならないだろうから何でアクビをするんだろう、と考えたものですが、ドアが閉まっていないということだったのです。
“porte ” もよくフランス語の言い回しに登場します。”enfoncer une porte ouverte 開いているドアを打ち破る”は、むだに骨を折ること。”frapper à la bonne porte 正しいドアをノックする” は、ちょうどいい人に声をかけること。 “mettre la clé sous la porte 鍵をドアの下に置く” は、こっそり夜逃げ…。
アイロンのように泳ぐといっても、アイロンは泳げません。フィンをつけても無理。
“nager comme des poissons ” と、上手な人は魚のようにスイスイ泳ぐけれど、泳げない人は、アイロンのごとく水中に、ブクッ、ブクッ、ブクブク…。