France 2 の危機 N° 420 1998-07-15 国営の FRANCE 2 が、1986年のTF1民営化以来の苦境に陥っています。 特にニュースの分野で民放のテレビ局と視聴率を争っていますが、視聴者はTF1のニュース番組に好意的ですから、FRANCE 2 の編集部はいろいろ困難な時期にさしかかっていました。フランスのメディアの世界での FRANCE 2 の位置は簡単ではありません。国営のテレビ局ですから、政権と密な関係があり、フランス人はこの「フランスの声」を信用していません。1995年の大きいストの時もFRANCE 2 は政府の立場を支持しましたから、フランス人はだんだん他のチャンネルに移り、FRANCE 2 の視聴率が低くなりました。FRANCE 2の責任者は、この不安定な立場から脱しなければなりませんでした。 ”革命” と言う言葉がよく利用されました。しかし、編集部内には硬直してしまった部分がたくさんあって、”革命” は無理でした。改革の責任者であるアルベール・デュ・ロワ編集長に対して、ニュースキャスターのダニエル・ビラリアンが保守主義者のリーダーになり、フランス革命とは逆に保守陣営は勝ちました。少なくとも一時的な勝利をおさめました。6月5日、アルベール・デュ・ロワ氏は辞表を出しました。 翌日のリベラシオン紙で「私の失敗はこのテレビ局全員の失敗です。公益を忘れています」と、”FRANCE 2 のゴルバチェフ”といわれるているアルベール・デュ・ロワ氏は説明しました。FRANCE 2 の危機はニュース報道のむずかしさに由来しています。 (クロード) Recommandé:おすすめ記事 Segolene Royal– 「ソーラーパネルで私の地方は欧州一!」 Henri Cartier-Bresson — 世界を新しい眼で切り撮ったカルティエ=ブレッソンが亡くなった。 Albert Jacquard– 80歳の今も実現可能なユートピアを求める。 Germaine Tillion — 民俗学者のレジスタンスはまだまだ続く。 HOMMAGE A MARCEL GIUGLARIS — 故マルセル・ジュグラリスさんに捧ぐ ベルトラン・ドラノエさん Bertrand Delanoe 一 社会党公認パリ市長候補。人気上昇中だ。