Etre tatamisseは、日本好きが嵩じて畳の上で生活することを選んでしまうような日本おたくのことを指す言葉。Roynard家の場合は、フランスにいながらにして畳の生活をしているのだから、筋金入りの”tatamise”といえる。 もとは1800年ごろに建てられたChanorier城の馬屋だったものが、長い年月で改装され、いつしか人間が住む建物になった。馬屋の面影はほとんど残っていないけれど、なるほど、家がやたらと横に長細い。さすがお金持ちの馬小屋だけあって、広くてしかも2階建てです。上は干草を保存するスペースに使われていたそうだ。階段は19世紀当時のもの。つややかに磨かれていて、末っ子のケイ君の滑り台と化している。 この建物をRoynardさんが20年前に購入。日本駐在時代に集めていた日本の骨董が映えるようにと、少しずつ内装を手直ししているうちに、現在のような日本間と洋間のドッキングされた家が完成したというわけだ。一番最初に改装したご夫婦の寝室には、床の間まで造ってしまうという凝りよう。掛軸の前には桜の花が活けられ、日本の美を感じる。これら全ての改装は、旦那様のピエリックさんの日曜大工の成果というから驚きだ。 洋風家屋に日本間を一部屋設けるのは、日本の住宅にもあるけれど、この家がユニークなのは、洋室の一部に畳を敷いているところだ。寝室にはベッドが置かれ、アンティークの机と椅子が並んでいるのに、一段高くなった4畳のスペースにはこたつが陣取っている。他にも箪笥や行灯などが、アールヌーヴォーのランプの横で、主張しすぎない程度に置かれていたりして、畳の文化と西洋的なものが絶妙に共存している。 内装がピエリックさんの作品なら、これらの家具は日本人の奥様の典子さんが、抜群のセンスで選んだものだ。夫婦の息が合ったところが、家にも反映されているような気がする。 Roynardさんがこの家を買った当初、庭は芝生で覆われるだけのいたってシンプルなものだったのに、小さい日本庭園を造り、桜、林檎、梅、キイチゴなどの木を植えすっかり華やかに。4人の子供にはそれぞれ植物の名前を付けて、庭にはその記念に菊 (きく)、花梨(かりん)、ジュンサイ (じゅん)、桂 (けい)を植えた。 典子さんいわく、もう家の中で手直しするところは残っていないというけれど、いやいや日曜大工好きのピエリックさんの改装は、まだまだ続きそうです。(章)
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クロワシー・シュル・セーヌ RER-A線でレアールから20分ほどのセーヌ沿いの町が、上の記事のRoynardさんの住むCroissy sur Seineだ。19世紀に、パリの貴族たちが競ってこの町に別荘を建て、その後もルノアールをはじめとする印象派の画家たちが、セーヌを舞台にした大作を残しているので、もう訪れた人もいるはず。今もレストランとして残っているMaison Fournaiseでは、ルノアールが多数の作品を制作しています。 セーヌ沿いの遊歩道は格好の散歩道。美しい家々を見物しながら、2キロほどの散歩を楽しみたい。年に2度、春先と秋に、大きな骨董市がセーヌに浮かぶ小島で開かれます。6月14日の印象派祭 Fete des Impressionnistesも、印象派時代の面影を再現する楽しいイベント。 Chatou-CroissyまでRERで片道19フラン。 問い合わせ 01.3071.3089 |