マダム・キミのシルバーラウンジ2018年9月1日号

 

 

 

 やす子さん(66歳)の父は大正8年生まれで、大正ロマン時代に浴し、若い頃、華の都パリに憧れた世代だった。釧路炭鉱関係の経理も担当。見合いで父と結ばれた母は京都生まれ。今日95歳の母も祖父母同様に教員だった。英国に憧れていたやす子さんは26歳の時、ロンドンに1年滞在した後、観光ビザで来仏。オペラ街の日本料理店や香水店で働き始める。

  今から20年前の1998年ワールドカップのときはもうパリにいらしたのですね。
  オヴニー500号の「読者の手紙」特集にオヴニーが役に立っていることを感謝する手紙を書いたことを覚えています。32歳の時、日本レストランで働いていた頃、同店で働いていた岩手県出身の職人肌の包丁一筋の調理師と結婚し、85、88年に息子と娘を出産しました。その後、約20年間大手の旅行代理店のアシスタントとして働きました。80年代からの日本人の海外旅行黄金時代を迎え、空港への送迎や、ディナーやムーランルージュなどへの付き添い、企業幹部のブランド品探し、N(農協)ツアー団体の農場見学と、1日に3-4時間くらいしか睡眠時間がありませんでした。この時期に普段お目にかかれない政財界のオエラ方にも接することができました。まだフランス人の中には、「ジャポンは中国のどのへんにあるの?」と聞く人がいた時分でした。当時、日本人女性には香水店や料理店に働き口は簡単に見つかりました。それだけに労働局の調査が入るという噂が流れると、「キミは店に出ないで」とか「客のふりをして見つからないように」とか店長も気が気でなかった時期も体験しました。
 今は、日仏ハーフの第2、第3世代も増えて、日仏交流も盛んになりました。私たち夫婦も60近くなり、老後のことも考え2010年に14区の元寿司店を借り受け、京都風おばんざいと寿司の店を開くことにしたのです。客の中には最近京都で精進料理を食べてきたという仏人もいます。

  老後は日本でというお考えはありますか?
  40年近くパリで暮らすと、私たちは日本での異邦人になってしまったようで、日本の冠婚葬祭の習慣に戻るのはむずかしそうです。できることなら、日仏半々の老後生活を送れれば理想的だと思っています。