マダム・キミのシルバーラウンジ2018年8月1日号

 

 

 画家のトモコさんは1945年新潟県六日町生まれ。神主だった父親はプロテスタントに改宗、神学校に通い中学校教師を辞して牧師に。父の宣教活動と共に栃木県各地で少女時代を送る。高卒後、父が作った保育園で保育士も。小さい頃、父がくれた紙とクレヨンで絵を描くことに夢中だった。小学校時代にイラスト入りのガリバン刷りの家庭新聞を作ったこともある。

  渡仏されたのはいつでしたか?
  大学ではヨーロッパ中世史を学びました。フランスに向かう前に、美容師やモード関係の人たちと歴史観光をかねて、エジプト航空で33時間かけてカイロに向かいました。エジプト、シリア、ヨルダンなどをイスラエル空軍が攻撃した、1967年戦争の数年後だったと思います。エジプト古代の遺跡を目の前にした時、足がすくみました。個々の美を云々する前に 「これだ!」と思いました。3千年前の石の群像が全身に迫ってくる驚異…。
 1975年、片道切符でパリに着きました。パリで画家生活を営む日本人の誰もが体験するだろう貧困生活から始めました。子守りからレストランの皿洗いまで。食事に行った中華レストランで出会った仏男性に声をかけられ付き合ってみる気になりました。彼はアルザス生まれで私より4歳年上の特殊機械の技術者でした。彼と結婚した直後から、夫の仕事でナイジェリアに4年半滞在、部族闘争の内戦の中を脱出しました。その後ジャカルタへ。パリに戻り息子を出産。その後、夫は単身で2度ほど南極仏越冬隊に参加しました。越冬隊は10カ月滞在後2カ月休暇。夫の留守中は私の創造の時間となります。
 パリで出会える人たちも素晴らしいです。例えば、ストレッチクラブで知り合った老婦人は何世紀も昔、ロシアにきたタタール人の祖先をもち、とても博学です。彼女と一緒にドイツやポーランド、「連帯」運動で有名なグダニスクへと旅をして、現地の人々の生活そのものに接することができました。欧州の各地に横たわる歴史の流れ、そこに生きる人々…。
 私の絵画作品に一貫性を見つけるのは難しいと思うのですが、テーマが異なっていても画筆を貫く押えようもないエネルギーが私を支えているのだと思います。