Q:そういえば辻フランス校ではどこで研修を?
松根:リヨンとロアンヌの間タラールTarareという町にあるジャン・ブルイリーJean Brouillyさんのお店で6ヶ月です。学校には日本人がいたので良かったんですけれど、あの時は寂しかったです。当時は手紙を書くか電話をするか、という他には日本と連絡の取りようがなかった。公衆電話の番号を控えて手紙で日本へ送ったりして。
Q:そう、そして指定の時間に電話の前で待つんですよね。
松根:そうそう(笑)。
Q:ブルイリーさんのお店では日本人は一人だけ?
松根:そうです。ブルイリーさんは、その後15区の最初のお店に来てくださいました。たまたまパリに来たので、と。その時はやっぱり嬉しかったですね。はじめは高級料理に憧れていましたので、フランス校にいる時も普通のフランス人が食べている料理にあまり触れてはいませんでした。だからパサパのカジュアルな料理に出会った時に、モヤモヤしていた何かが晴れた気はしました。フランス校の時は男子の方が多かったですけれど、女子も少しいてみんなで「自分で店をやりたい」というような話をしていました。そのうちの何人かは「20代で自分の店を持つためになんとか頑張るんだ」というようなことも言っていました。早く借金をすれば早く返せるだろう、という話を聞いて「なるほど」と。すぐに影響されるんです。子供も産みたかったので、だったら5年やってみて自分の店を始められなかったら自分には向いていないと思うことにしよう、と決めました。とはいえそれほど意気込んでやっていたわけではないんですけれど。目処として、27歳の時に田舎に帰ってお店をやりたいな、と思っていました。
Q:三島で?
松根:そうです。というのも地元には学校が集まっている地区があって、中学校から短大まで同じ道を通って学校へ行ったんですね。8年間同じ通学路を歩きながら、その途中にお店があればいいな、と漠然と思っていました。例えばラーメンカフェ、というか、自分が作れるのはキッシュとかサラダ、そして簡単な煮込みなので、そういうものを出せるお店、オープンキッチンで、というイメージでした。
Q:そしてレイモンさんのようなフランス人がいたらフレンチになるよね?という感じですか?
松根:そうです(笑)。彼に会った時にそう思ったんですね。そういう風に店を一緒に地元で出せれば、と思ったらフランスへ帰ってしまったので。
Q:しかも彼に会いに行ったフランスで身ごもってしまう(笑)。
松根:でも、妊娠がわかった時には産みたいと思いました。だから一番最初の気持ちを大事にしようと思って、とはいえレイモンのこともそれほど知っていたわけでもないのですが、とりあえずこういう形でやっていこう、ということになりました。
Q:結局は事実婚ということですか?
松根:そうです。しかも最初から別居でした、というか産んでからパリへ行くからね、と言っていたわけですから、結婚して半年後にようやく合流してスタートを迎えました。ただ日本で勤めた店では、シェフと二人きりで2年間毎日の大半を過ごした、となると仕事をしている人というのは 家族とはほとんど一緒に時間を過ごせないんだ、ということも感じたんですね。なので、あまり知らないにしても、一緒に子供を授かったレイモンと2年ぐらいもつかな?という気持ちではありました(笑)、最初はね。
Q:ふむ。
松根:ただ、私がこちらに来てすぐに、夫のレイモンが勤めていた店から「自分の店を持て」と言われ、彼は私に「あなたは料理ができるんでしょう?」と聞くんですね。夫婦で店をやるとなったら、自分はサービスしかできないからあなたが料理をしなければ」と言われて「できるも何も、やらないといけないんでしょう」と腹をくくりました。大体、私が目指していた「5年」というのが、その27歳になる年だったんです。なので、一度あきらめたものが形になるのかな?ということで、できるもできないも「やるしかない」と思ったし、同時に自分が目指していた夢を「叶えた」という気持ちにもなり「じゃあ一生の仕事としてやって行くか」とも本当にその時思いました。
L’Auberge Café
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