記憶の扉が開かれた、リヴザルトへ。
フランス本土の最南端、ピレネー・オリアンタル県。かつてマヨルカ王国の首都だったペルピニャン、色彩豊かな景観にドランやマティスが絵画の潮流「フォーヴィズム」を生んだコリウールの町、また、まさに「甘露」の形容がふさわしい甘口ワインの生産地リヴザルトやバニュルスなども有名だ。ピレネー山脈のなかを走るスペインと同県の間の国境線は120km。地中海に面した風光明媚なリゾート地としても愛されている。
そんな甘美な地は、苦い歴史を刻んだ地でもある。今から82年前、スペイン内戦でフランコ反乱軍が全国を掌握すると、50万人の人々が雪のピレネー山脈を越えフランスにやってきた。しかし、「人権の国」に安住の地を求めて逃れてきた人々を待っていたのは収容所だった。ペルピニャン郊外に造られたリヴザルト収容所もそのひとつ。第二次世界大戦でも収容所として使われ、さらにアルジェリア戦争後は同戦争で仏軍のために戦った 「アルキ」たちを収容した。先月20日、マクロン大統領はその「償いきれない罪」を謝罪したが、閉じ込められた人々の傷は癒されることはない。20世紀の苦悩を刻んだ場所は「収容所メモリアル」として2015年にオープンした。長い間封印されていた記憶の扉が開かれた、リヴザルトへ。
リヴザルト収容所跡へ。
Mémorial du camp de Rivesaltes
スペインと国境を接するピレネー・オリアンタル県では、人口の3分の1にあたる人が 「レティラーダ Retirada」の子孫だという。レティラーダとは、1936年から39年のスペイン内戦によるスペイン人らの国外脱出。50万人がフランスに避難した。
亡命したのは民主主義のためフランコ率いる反乱軍と戦った、共和派政府軍の兵士たちや、欧米の国々から応援に来た義勇兵たち、そして市民。スペイン共和派政府はフランスに支援を要請したもののフランスは英国にならって不干渉を貫いた。そして不景気や失業で、外国人排斥ムードが高まるなか、仏ダラディエ内閣は1938年、強制収容所を開設し、そこでの外国人監視を合法化。スペインからの難民は国境で子ども、女、老人などと分類され、全国の受け入れ施設へ送られ、男たちは武器を没収された。この頃、ピレネー・オリアンタル県には十数ヵ所に収容所が造られたが、そのうち4つは砂浜だった。はじめは建物もなく、砂に穴を掘って寒さをしのいだが、飢え、不衛生、病気で多くの人が死んだ。無事に生きて外に出られた者は第二次世界大戦中、フランスで対独レジスタンス活動に身を投じた。
リヴザルト収容所は、もとは軍の訓練所として1939年に造られた基地だったが、既存の収容所がいっぱいになったため、1941年から難民を収容するように。今、メモリアルの敷地は40ヘクタールだが、当時は620ヘクタールあったという。第二次大戦中はユダヤ人やロマ人が、アルジェリア戦争後は1962年から64年まで2万1千人のアルキが収容され、炭鉱や森林業などの職と住居をあてがわれた。その後も仏軍のため働いたギニア人や、旧仏領インドシナの兵士たちがこの収容所の住人となった。
◉ Mémorial du camp de Rivesaltes:
Av. Christian Bourquin 66600 Salses-le-Château Tél.: 04.6808.3970
4月~10月は無休、11月〜3月は月休、10h-18h。9.5€。
行き方:ペルピニャンからは車で15分ほど。徒歩ならSalses-le-Châteauか、Rivesaltes駅から1時間。
GPS入力するのは : Avenue Clément Ader 66600 Rivesaltes
「ジュゼップ・バルトリ、亡命の色」展
« Josep Bartolí. Les couleurs de l’exil »
この夏、日本でも公開された映画『ジュゼップ 戦場の画家』の主人公ジュゼップ・バルトリ(1910-95)の絵画展がリヴザルト収容所メモリアルで開催中だ。バルセロナ生まれの彼は共和派の支持者で前線での戦闘にも参加したが、共和派の最後の砦(とりで)のバルセロナがフランコ軍に掌握されると雪山を越えてフランスに避難する。
それからはリヴザルトも含め、7つの収容所を転々とさせられた。収容所内での野ざらしのトイレで用を足す人々のスケッチや、意地悪そうな憲兵や看守が豚のような顔に描かれた絵には、憎しみもユーモアも嘲りも感じられる。スペイン内戦に不干渉の立場をとった国を批判する絵、戦場の絵もある。これらは『Campos de Concentraci n 1939-1943(強制収容所1939-43)』と題され、一冊にまとめられて出版された。
逃亡に成功し、メキシコでフリーダ・カーロと恋に堕ち、モノトーンだった作品が極彩色になる。その後もニューヨークで絵を描き続けた。ジュゼップの未亡人バーニス・ブロンバーグさんは、オーレル監督がこの映画を準備する段階でリヴザルト収容所のことを初めて知り、メモリアルに多数の作品を寄贈した。同展覧会では若い頃から晩年までの150点を一堂に展示する。
“Josep Bartolí, les couleurs de l’exil” 展
(Mémorial du camp de Rivesaltes にて:2022年9月19日まで)
キャパが撮った、砂浜の収容所。
Argelès-sur-Mer
アルジュレス・シュル・メールはペルピニャンの南25kmにある、人口1万人ほどの町。1939年にスペインから大勢の難民がやってくると真っ先に砂浜に収容所が造られ、3年間で16万人が避難生活を送った。
報道カメラマン、ロバート・キャパ(1913-54)は、スペイン内戦初期に撮った「崩れ落ちる兵士」で世界的に有名になったが、その後も内戦の取材を続け、共和派の人々がフランスへ避難すると、彼も国境を越えてアルジュレスの収容所へやって来た。砂浜に小屋を建てたり、収容所を有刺鉄線で囲う作業をさせられる男たち。冬の砂浜に葦を差し込み、そこに毛布を掛けたテントで生活する人々の写真は、「忘れられた軍」のタイトルでイギリスの雑誌に掲載され、世界にスペイン難民の窮状を知らしめた。キャパは写真に添えた文章を、「次は誰が(難民に)なるのか?」と結んだ。まもなく第二次世界大戦が勃発し、キャパはアメリカへと逃れることになる。これら収容所を撮った写真は友人に託されたまま忘れられていたが、2007年、4500枚のネガと126本の35mmフィルムの入った箱がメキシコで発見された (それゆえ、これは「メキシカン・スーツケース」と呼ばれる)。そのなかのアルジュレス収容所の写真が、80年以上の月日を経てアルジュレスで展示されている*。
この町の「収容所記念館」は2014年に創られた。会員は300人。FFREEE(スペイン共和派の息子と娘たち、集団国外脱出の子どもたち)が週に一回集まり、「レティラーダ」と収容所の証言を集めたり、展覧会などの企画をする場だ。レティラーダの道を自分たちで歩いたり、今日も絶えない難民の援助なども行う。私が記念館を訪れた時は、中年女性が「家族が収容所にいたので記録が見たい」とアポなしで来ていた。民主主義のために戦った人々の遺志を大切にしている町だと感じた。
*Robert Capa « 18 mars 1939, L’armée oubliée du camp d’Argelès» (11/15まで)
Galerie Marianne : rue du 14 juillet, Espace Liberté,
66700 Argelès-sur-Mer
火 – 土10h-13h/14h-18h、入場無料。
◉Mémorial du camp d’Argelès-sur-Mer
26 av. de la Libération 66700 Argelès-sur-Mer
www.memorial-argeles.eu/fr/
04.6895.8503 入場料2€、7~9月 : 毎日10h-18h。
10月~6月 : 火~土、10h-13h/14h-18h。
(どちらもペルピニャンからは2駅目のArgelès下車。駅からは徒歩10分) 。町から浜辺へは徒歩30分ほど。
戦時下の産院、595人が生を授かった。
Maternité Suisse d’Elne
劣悪な衛生状況だった収容所での出産は、新生児も母親も死亡率が高かった。スイス出身の教員エリザベス・アイデンベンツ(1913-2011)はチューリッヒで資金集めをし、ペルピニャンの隣町エルヌに出産施設を創設した。彼女は、スペイン内戦時はマドリッドで子どもや母親の支援にあたっていたが、共和派の敗北を機に、ピレネー・オリアンタル県の収容所での仕事についた。
タバコの巻紙会社JOBの社主が建てた大邸宅を修復し産院を創り、アルジュレス、サン・シプリアン、リヴザルトなどの収容所から出産間近な妊婦を迎えて出産させたり、幼い子どもたちを療養させた。また、第二次世界大戦が始まるとヴィシー政権下で迫害されたユダヤ人、ジプシーなどを迎え入れ、出産だけではなく、役所への出生届をユダヤ人ではない名前に変えるなどして子どもの命を救った。対独レジスタンスの行き交う場でもあったため、産院は44年にはドイツのゲシュタポによって接収されるが、アイデンベンツのイニシアティブとスイスの市民団体の援助によって、1939年から44年までの間、595人がここで生を受けた。
長い間、忘れ去られていた彼女の活動は、2000年を過ぎた頃からカタルーニャ自治政府、イスラエル、西、仏政府によって表彰されるように。「レティラーダ」の子孫である町長の意思もあり、産院は2011年博物館に、2013年にはフランスの歴史的建造物に指定され、今では年間3万人が訪れる町の名所かつ、誇りとなっている。
◉ Maternité Suisse d’Elne :
Château d’En Bardou, Route de Montescot
66200 Elne
ペルピニャンからTERで1駅。Elne駅から徒歩で20分。
オフシーズンは火~日 10h-12h30 / 14h30-17h。
ハイシーズン無休10h-19h。4.50€/3€/10歳未満無料。
Mémorial du camp de Rivesaltes
Adresse : Av. Christian Bourqui, 66600 Salses-le-ChâteauTEL : 04.6808.3970