
パリ5区の紋章には、雲からのびる手が描かれている。その手は、開かれた本を持っている。何者かが天上から「この本を読みたまえ」と言っているかのような図案だ。これはソルボンヌ大学の古いエンブレムに由来するそうだが、パリで一番書店が多いという5区には、なんともふさわしい紋章だ。
グーテンベルクがドイツで活版印刷技術を開発した後、1470年くらいに職人がドイツからやってきてソルボンヌ大学内に工房を設けたのが、フランス初の印刷所だとされる。1571年には製紙技術の進歩とあいまって、ソルボンヌ大学近くの小路には書店が14軒もあったそうだ。

それにしても、なぜこの5区にはこんなに名門高校や大学、グランゼコールがひしめいているのだろう? 街を歩いていても通りの名は学者のものが多いし、デカルト、ディドロ、ボーヴォワール、ヘミングウェイらが住んでいたことを示す記念プレートを多く目にする。
そんなことを考えていた折、やはり学芸都市として名高い東京の文京区が、この夏、パリ5区と友好交流の覚書を締結したと聞いた。調印のために奔走した人たちに会えるというので、5区についても話を聞いてみることにした。(六)

パリ5区に暮らす3人に聞きました。
「歴史と現代が調和する街。」ー エステール・マルカさん

ローマ人はガリアを征服してパリまで北上すると、現在のシテ島には政治機関を置き、セーヌ左岸、今パンテオンがそびえるサント・ジュヌヴィエーヴの丘一帯に都市を築いた。中世、ソルボンヌ大学ほか修道会が運営する学校が多く創られ、ラテン語が話されたため、「カルチエ・ラタン」と呼ばるように。フランス革命後、教会や修道院は国有化され、そこに国の指導者を教育するため、多くの学校が創られていった。
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「5区では、1〜2世紀にローマ人が造ったクリュニー浴場やリュテス円形闘技場、5世紀の聖ジュヌヴィエーヴの足跡から21世紀まで、歴史の旅ができるんです。今、ジュシュー大学とアラブ世界研究所がある場所には、13世紀にサン・ヴィクトール修道院が設けられ、欧州の知の中心地として名を馳せました。ジュシューの一帯が今でもサン・ヴィクトール地区といわれるゆえんです。
フランス革命で宗教施設は国有化され、それが大きな常設ワイン市場になると、周辺にレストラン、パン屋、チーズ屋などが集まり食文化が育まれました。1582年に開店した 〈トゥール・ダルジャン〉のような質の高いレストランやワイン屋さんが多いのも、そんな歴史があってのこと。カルチエ・ラタンは外国人も多く世界の料理、工芸品、書店もたくさんありますね」。
エステールさんはそんな5区が大好きで、日々歩いては発見したことを多くの人と分かち合うための勉強と交流の会を設立して活動中だ。



19 quai de la Tournelle
エステールさんの5区おすすめ

◉Autour de la rue St Victor(地図上①)
散歩にはサン・ヴィクトール通り周辺の、古い建物や街灯がのこる趣ある地域がおすすめです。
◉Collège des Bernardins (地図上②)
1248年に創設されたコレージュ・デ・ベルナルダンは、4世紀にわたってシトー派の僧侶を養成したかつての学校。今は展覧会場になっていて、一般も入場可。一般向けの美術史や宗教史などの講座も。カフェではランチもできる。
20 rue de Poissy 入場は月〜土10h-18h (水木金土16hは修道院ガイドツアー。ネットで予約)。
www.collegedesbernardins.fr/
火〜日: 10h-13h / 14h-18h
◉ Pâtisserie Pascal Pinaud (地図③)
昔ながらのお菓子を作っているのが好き。
70 rue Monge 5e Tél:01.4331.4066
月休、火〜土: 8h-20h、日:8h-19h
エステールさんの歴史研究の会
Association Le Carré de la Tournelle
歴史探訪ツアーは約90分、15€。
希望の日付、人数などをメールで連絡。3人からツアー決行。
asso.tournelle@gmail.com
「人生とパリ5区とが一心同体。」ー ドラ・トーザンさん

ホテル Le Jardin de Verre のテラスで。
パリの町や暮らし、パリジェンヌの生き方などについての著作が多いジャーナリスト、ドラ・トーザンさん。90年代、NHK 「フランス語会話」に出演していた頃から東京とパリの二都市生活を続ける。パリでは学生時代から5区に暮らし、ソルボンヌ大学で勉強したので、ドラさんの人生は5区と一心同体、思い出もいっぱいです。
植物園の散歩も欠かさない。「3月に桜が見事に花を咲かせると、ベンチに座って日本に思いを馳せながらお花見をします」。学生が多く賑やかなカルチエ・ラタンでも、ちょっと入れば静かで心落ち着く石畳の小路がある…そんな5区が好きなのだそう。

ドラさんの5区おすすめ
◉14 rue Rollin(地図上の④)
哲学者デカルト (1596-1650)が住んだ建物。


◉Le Jardin de Verre by Locke (地図上➎)

18世紀の館を改装し、今春オープンしたホテル。中庭にはカフェテラス、建物に入るとガラス屋根から光が注ぐカフェ・レストランがある。7 rue Lacepede
◉Jardin des Plantes(地図上➏)
ルイ13世が設けた薬用植物園を起源とした植物園と、進化大ギャラリー、鉱物・地質学ギャラリー、動物園、温室などで構成される自然史博物館。それぞれの建物も美しい。

「フランスの知の最高峰に皆が触れられる。」 ー フィリップ・ブシェさん

5区に住み、区役所で顧問をつとめるフィリップさん。「5区は端から端まで歩いても20分ほど。古い建物も多く、都心なのに村のよう。オヴニー読者におすすめしたいのはブキニストです。セーヌ河岸に本箱を置く古書店ですが、古い雑誌やポスターなどもあるので楽しめるのでは。次にコレージュ・ド・フランス。フランス最高峰の学者や教授の授業を、誰でも無料で、予約なしで受講できるんですよ!そしてヴァル・ド・グラース軍医学校博物館。第一次世界大戦で多くの負傷者を出したため、顔や頭の負傷の修復など、医学は大きな進歩を遂げました。軍医が設置されてから今日までの、3世紀の歴史をたどる博物館です」。

フィリップさんの5区おすすめ
◉ Bouquiniste ブキニスト

◉Collège de France (地図上の⑦)
1530年フランソワ一世が設立したコレージュ・ド・フランス。
誰でも一流の講義が受けられる。プログラム⇨ www.college-de-france.fr

◉Musée du Service de santé des armées(地図上の⑧)軍医博物館
ヴァル・ド・グラース教会は、ルイ13世の妃アンヌ・ドートリッシュが1645年に建立。結婚後23年間も後継者に恵まれず、子を授けてもらえたら教会を建てると神に誓ったところ、後のルイ14世を身籠ったことから。修道院だった建物は1793年に軍病院に。第一次世界対戦後に



パリ5区と文京区の交流に大きな一歩!

去る7月7日、東京文京区の成澤廣修 (なりさわ ひろのぶ)区長と、パリ市5区のフロランス・ベルトー区長が、東京とパリをオンラインでつないで友好交流に関する覚書を締結。東大ほか19校もの大学がある文京区と、ソルボンヌをはじめグランゼコールや研究機関が集まる5区の交流を促進させる狙いだ。フランス側でこのパートナーシップに尽力したドラ・トーザンさんとフィリップ・ブシェさんは 2024年に 「日仏カルチェラタン協会」を立ちあげた。日仏さまざまな分野の人たちを巻き込んでの楽しいプロジェクトを計画中!
詳しくはこちら➡︎ 日仏カルチェラタン協会(L’Amicale Franco-Japonaise du Quartier Latin)
公式サイト https://afjql.fr/
5区の女傑伝説
マリー・キュリー Marie Curie(冒頭の地図①)

夫ピエールとラジウムを発見したマリー・キュリー博士(1867-1934)。パリ大学初の女性教授、初の女性ノーベル賞受賞者、ノーベル賞を2度受賞したのも初、パンテオンに祀られた初の女性!キュリー夫人が実際に使っていた研究所は博物館になっていて見学できる。また、マリー・キュリー研究所は、ガン治療では最先端。
Musée Curie (冒頭の地図①):
1 rue Pierre et Marie Curie 75005 Paris (ウィークデーは同じ通りの11番地から)
Tél : 01.5624.5533 水〜土13h-17h 入場無料
交通:Luxembourg(RER B)、メトロならPlace Monge / Cardinal Lemoine
サイト:https://musee.curie.fr/


② 聖ジュヌヴィエーヴ(冒頭の地図②)

聖ジュヌヴィエーヴ (420頃-502/512頃)は、フン族の王アッティラ襲来からパリを守ったパリの守護聖人。今もトゥルネル橋でよそから敵が入ってこないか、パリを見守っている(そのためにノートルダムに背を向けている)。聖ジュヌヴィエーヴの遺体の一部は、パンテオン脇サンテティエンヌ・デュ・モン教会内にある。パンテオンがある丘も彼女にちなんだ名前となっている。

③ ジャンヌ・バレ Jeanne Barret
5区、Boulangers通り(冒頭の地図上③)に住んでいた植物学者のジャンヌ・バレ(1740-1807)は初めて世界一周航海をした女性。女人禁制だった探検家ブーガンヴィルの船に、植物学者フィリベール・コメルソンの助手として男装し、ジャン・バレと偽名で乗り込み、3千種の植物を採集しフランスに持ち帰った。

