ジュイ更紗とオベルカンフ

レストランやバーが軒を連ね、日夜にぎわうパリ11区のオベルカンフ通り。その通りの名は、ある18世紀の人物に由来する。クリストフ=フィリップ・オベルカンフ。ドイツ出身、22歳の染色職人はヴェルサイユ近くの小さな村ジュイ・アン・ジョザスに工房を構え、花の文様、田園風景のなかで戯れる男女や動物をプリントした木綿布 「ジュイ更紗」を次々と創り出し、ヴェルサイユの王侯貴族たちを魅了した。

工房は大工場になり、最盛時には1300人を雇った。これは当時の北フランスのアンザン炭鉱会社、鏡やガラス製造のサン・ゴバン社に次ぐフランス第3の規模で、テキスタイル会社としては欧州最大。ジュイ布のドレスをまとった王妃マリー=アントワネットはオベルカンフを家に訪ね、ルイ16世は王立製造所として保護。ナポレオン1世も赴き、レジオンドヌール勲章を与えた。
1760〜1843年の間に制作されたジュイ更紗のデザインは3万点以上。今日はジュイ更紗美術館が市とともににアーカイヴを管理し、それらを活用して「Toile de Jouy depuis 1760®」のブランド名で商品開発を行っている。めざすは、更紗の郷ジュイでの製造再開だ。

動物画家として名高いジャン=バティスト・ユエが描いたモチーフで、1780年代にフランスで流行した英国風ドレスをまとった女性たちが描かれている。
パリから電車で1時間ちょっとの、緑ゆたかな山里、ジュイ・アン・ジョザス。紅葉に色づく町で、オベルカンフの足跡と、ジュイ更紗の歴史をたどってみよう。(六)
ジュイ・アン・ジョザスで作られたジュイ更紗。

フランスが木綿布と出会うのはルイ14世の時代。イギリス、オランダに一足遅れて、1664年に財務総監コルベールが東インド会社を創設したことで、インドのプリント木綿布 〈インド更紗〉がもたらされた。その風合い、快適さ、容易に洗え清潔、異国情緒あふれる色鮮やかな文様…宮廷の王侯貴族、男も女もインド更紗に夢中になった。マルセイユをはじめ多くの都市に、輸入した布にプリントを施す捺染工場ができ、フランスでも更紗が作られるようになった。
ところが、この木綿の人気が国内の毛・絹織業者たちに不利になるとして、ルイ14世は1686年、禁止令を出す。輸入も製造も着用も御法度、違反者は罰金、投獄、死刑(さすがに例はなかった)。しかし〈更紗熱〉はおさまらず、英、独、スイスからの密輸が盛んになってしまう。

解禁は1759年、ルイ15世の愛人で芸術の保護者だったポンパドゥール夫人の進言だ。夫人は禁止下も更紗をまとい、ムードンのベルヴュー城には闇で入手したインド更紗を使った家具が多かったという (国王の愛人特権!)。しかし解禁された時には、70年間にわたる禁止によって、フランスの捺染のノウハウは消えてしまっていた。
フランスの更紗ルネサンス
…と、そんなタイミングで1759年、クリストフ=フィリップ・オベルカンフ(1738–1815) はフランスにやって来る。ドイツの染色職人の家に生まれ、スイス、ドイツとパリで経験を積んだ後、住民が500人たらずのジュイ・アン・ジョザス村へ。理由は、潜在顧客の多いヴェルサイユとパリに近いこと。布を広げて乾かしたり、工場を拡大するための広い土地と、染色に必須の豊かな水 (ビエーヴル川)があること。はじめはインド更紗に倣った木版のブロックプリントだったが、1770年、フランスの捺染工場で初めて銅版を導入。その後、銅版をローラー状にし、創業時の、1日に5mから、5000mへと生産性を上げた。染料は赤はプロヴァンス産のアカネ、黄色はノルマンディー産モクセイソウ。ブルーは仏南西部のパステル。後に染色力が強いインドのインディゴを使うようになった。

「ジュイ更紗」スタイル
18世紀になると、ルイ14世の時代とは違った草花モチーフの流行がおこる。自然科学の発展とともに植物学者リンネ、ビュフォンらの植物図鑑が流布し、ジュイのデザイナーたちも身のまわりに咲く野草だけではなく、そこから案を得るように。「自然に帰る」ことで魂を高めるという啓蒙思想家たちの考えや、庭園文化の開花も影響しているとジュイ更紗美術館の学芸員デュゾソワさんは語る。


また今日、ジュイ更紗といえば、人物や動物を配した田園風景のモチーフだが、それもやはり 〈自然のなかの人〉を描いている。このような「人物もの」の多くは、動物画家として名高いジャン=バティスト・ユエに託された。ユベール・ロベール、フラゴナールの絵画のような独特の様式が生まれた。ラフォンテーヌの寓話、『フィガロの結婚』、アメリカ独立、革命記念祭などの政治ネタ、気球が空を飛ぶと気球柄が登場(ジュイ更紗美術家に展示されている)。

フランス革命やナポレオン戦争など不安定な状況でもコンスタントに事業を継続し、フランス経済の発展に貢献したとナポレオンが讃えたオベルカンフは、1815年、ナポレオンの失墜とともにその生涯を閉じた。没後は息子が跡を継ぐも病弱のため断念。1843年には閉業する。多くの銅板が散逸し、商標登録されていなかった意匠が他企業により使われることも珍しくなかった。

ナポレオンからレジオンドヌール勲章を授与されました。
 時代を読み、新技術を導入し、品質では妥協しない。オベルカンフは経営者の才覚をもち、かつ自分でデザイン画を描いた。ジュイでオベルカンフが最初にプリントした「手押し車の中国人 」はその好例だ。
 クリスチャン・ディオールが好み、画家フジタはジュイ更紗のある室内を描いた。今日もクリエイターを刺激し続けるジュイ布は、生きた文化財として、人々に愛され続ける。

ジュイ更紗美術館。

1977年にオープンしたジュイ布美術館は、オベルカンフ家からの寄贈品を中心に、ジュイ布、デザイン画、捺染機械や銅版、道具ほか1万2000点を所蔵する。現在のエグランティーヌ城へ引っ越してきたのは1991年のことで、製造場所ではない。
2022年にリニューアルされた常設展は、オベルカンフ一家をイメージし、当時ジュイ布が内装や服装においてどのように使われていたかを見せている。書斎、夫妻の寝室、チェンバロの音色が流れる「音楽のサロン」には、椅子や屏風に好きな模様の布を施すインタラクティブなディスプレイも。また、上階には世界の綿の交易、ジュイで製作された布地の数々、技術の変遷、工場の歴史などが語られる。
美術館は、毎年、テキスタイル・デザインのコンクールが開催され、優秀なものはテキスタイル会社が商品化するなど、今日の産業と歩みをともにする。ジュイー更紗グッズが並ぶミュージアムショップもすばらしいので、予算を確保して行きましょう。

◉ Musée de la Toile de Jouy – Château de l’Églantine
54 rue Charles de Gaulle 78350 Jouy-en-Josas
Tél 01 39 56 48 64
museedelatoiledejouy.fr
月休。火:14h-18h、水〜日:11h -18h。9€/7€。
※ 最寄駅は、Petit Jouy – Les Loges 駅。レストランがある中心街は隣駅 Jouy-en-Josas 駅が近い(とはいえどちらも徒歩圏内)。

オベルカンフの半世紀のキャリアと、サクセス・ストーリーをたどる街歩き。

22歳のオベルカンフがジュイで初めて住んだ家は、現在、音楽学校となっている「石橋の家」。家の前をビエーヴル川が流れている。当初は独立した工房もなく、初の更紗が作られたのはこの家のなかだった。庭にはオベルカンフと家族の墓が並んでいるが、これは彼らがプロテスタントで町の墓地には入れなかったから。ドイツやスイスから働きに来たプロテスタントの職人たちのためには敷地内で礼拝を行なっていたが、オベルカンフの死後、彼の娘が寺院を建立。今もタンプル通りに残されている。

橋の下にはビエーヴル川が流れている。

その後1766年、当時の製作所の敷地内に新たな邸宅が建てられた。そこには王妃マリー=アントワネットも、ナポレオン1世も訪れた。オベルカンフの社長室、1790年から93年の革命のさなかジュイ市長を務めた時は執務室が置かれた。今はジュイ市庁舎の一部で中庭には当時、工場の始業終業を知らせた鐘が置かれている。

外国人でプロテスタント、職人だったオベルカンフがフランス上層社会に仲間入りして、1795年、妻のために購入したのが 「モンセルの館」。音楽会を開き、政界、法曹界、金融関係者たちを招いたという。今は国の歴史建造物に指定されている5つ星ホテルだが、宿泊客でなくてもレストランやバー*を利用でき、庭の散歩をたのしめる。14haの庭園にアルマン、セザールら現代彫刻家の有名な巨大作品が置かれているのは、ここがカルチエ財団美術館だった時代 (1984〜93)の名残りだ。


腹が減っては散策もできないので、レストラン案内。

食事なら駅前Jean Jaurès通りの 「Le Robin」*。昼なら主菜11.50€、前菜+主菜で15.50€。ビール、ワインは一杯4€〜で味もサービスもいい。この町の目抜通りオベルカンフ通り (初期の工房跡や染料を挽くのに使われた水車跡も)なら魚料理の 「Bar à Sole」。週日昼のフルコースが28€。ヴィクトル・ユゴーが愛人ジュリエット・ドルエと過ごした宿は、今はモロッコ料理屋「Le Medina」。その先の小さな酒屋「Le Casier」は、ボトルを買えばその値段で店内で飲め(グラスだと選択肢が少ない)、並びの肉屋でチーズやハムを買って持ち込み可。14番地にはパン屋さんもある。

※ ジュイ更紗美術館は Petit Jouy – Les Loges 駅が近いが、レストランがある中心街は隣駅 Jouy-en-Josas 駅が近い(とはいえどちらも徒歩圏内)。
◉ Domaine de Montcel
Jouy-en-Josas 駅から徒歩10分ほど。
2 rue du Montcel 78350 Jouy-en-Josas
*モンセル館内のレストラン 「La Toile 布」:
12h-14h / 19h-22h Tél : 01.7395.6000
インテリアにジュイー更紗をあしらったレストランでは、昼は主菜+カフェ・グルマン32€、前菜+主菜/主菜+デザートで39€〜。バーにはMr Oberkampfほか、彼の父親や最初の雇い主の名を冠したカクテルがある。

◉ Le Robin
38 rav. Jean Jaurès 78350 Jouy-en-Josas(駅のほぼ前)
Tél : 01.3956.4034 
月休。火〜土、日曜は昼のみ。
ビストロ定番料理と、鉄板ならぬ石板で客が自ら具を焼いて食べるPierrade目当ての客も多いようだ。

【パリからの行き方】
最寄駅はRER-V線 Petit Jouy – Les Loges 駅下車。徒歩10分。Navigo パス有効。
モンパルナス駅からは N線でVersailles Chantiers駅まで。
Massy – Palaiseau駅 (RER-B線、C線)からV線に乗り換えるのも便利。
