<インタビュー全文>
Q:オープンしてからパティシエやチョコラチエにとって一番忙しいノエル、年越しのシーズンが終わりました。
佐野:初めてのノエルでどのくらいお客様が来てくださるか全く予想できなかったので、通常の3倍くらい作って準備をしました。
12月に入ってから、チョコレートが売れるようになってきて、ケーキはノエルの一週間ほど前くらいから出始めました。予想以上にケーキよりチョコレートをお買い求めになるお客様が多かったです。「田舎に帰るから家族にここのチョコレートを食べさせたい」と買ってくださった常連の方や、フランス在住のお客様、旅行で日本から来てくださったお客様、地元のフランス人のお客様もお店に来てくださいます。少しづつ、少しづつ浸透してきているな、と実感しています。
Q:これで一段落できそうですか?
佐野:忙しい時期は終わりましたが、2月には日本でバレンタインがあり、3月には復活祭。それが終わったらやっと落ち着くと思います。
Q:今は何人くらいでお仕事を?
佐野:チョコレートは私が作っていて、パティスリーは一人。12月の1月間だけスタージュの子がいたんですが、今は終えてしまって。今年はだいぶ頑張ってもらったので、来年からは厨房を3人にしようとは考えています。
Q:2017年はどんな年でしたか?
佐野:わけのわからないまま進んでいていき、常にドキドキしていた1年でした。
2月にマレ地区に、10月に「LES TROIS CHOCOLATS PARIS ♡ CHOCOLATE SHOP FUKUOKA」として福岡に日本1号店をオープンした大きな喜びの年でもありました。「美味しい」とお客様に言っていただけると、心の支えになります。
いまこの場所でお店をやっているのも、自分自身の成長のため。勉強で他のシェフの料理を食べて落ち込んだり、他のシェフはこういう働き方をしているんだよ、っていう話を聞くと「あぁこういうところは改善しないといけないな」って日々悩んだりもしています。
私の最終的な目標は、祖父の代から続くお店を100年続くお店にすることなので、それに向かって成長させるためのパリでの生活だと思っています。
Q:ゆくゆくは日本に戻ってお父様のお店を継ぐことを考えているのですか?
佐野:将来的なお話は今はまだわかりませんが、日本を拠点にしているとは思います。今年、パリと日本にお店を持つことができました。今はオープンしたばかりのパリのお店で頑張らなくちゃ、と思っています。それに今は父のお店に私の入る余地なんてありません。
Q:オープンまでに10年ほど修行されていたと聞きました。
佐野:いろいろなことを知りたいと思っていた10年間です。この10年間で10軒のお店で修行したのですが、福岡のお店を続けることを見越して、技術というよりも自分の引き出しを増やしたいと思っていました。25歳でフランス語も話せない、お菓子のことも知らない状態でフランスに来て、まさか当時はパリでお店を開くなんて思ってもいませんでした。
Q:子どもの頃はお店のお手伝いをされなかったのですか?
佐野:私の場合、父から「厨房は遊ぶところじゃないから入るな」と言われてきました。チョコレートはすごく温度帯が大事。例えば、少しでも雨が降って湿度が高いと作らなかったり、夏の暑い日だとすぐに溶けてしまい状態が良くないので、深夜の一時に最後の仕上げをしたり。それくらいデリケート。なので、それが理由で厨房に入れなかったというのは今でこそわかります。その代わりラッピングやリボンかけは小さい頃からずっとやらされていたので、今でも誰よりも上手だと思います。
Q:お店を開く時にも技術的なアドバイスはなかったのですか?
佐野:ないですね。味覚に関してだけです。父には「フランスに10年もいるんだから、技術的にはお前の方があるはずだ。お前の好きな道を選べ」と言われました。父は祖父の味を受け継ぎました。それこそ小さい頃から手伝わされて。そういうのが嫌だったんでしょうね。父は61年間ずっとチョコレートと関わってきて、私の倍以上はチョコレートのそばにいる人。食べた瞬間に「これはこうした方がいいよ」って言ってくれてその通りにやってみると美味しくなる。全然かなわないな、と思います。
Q:修行されたお店の中で特に印象に残っているお店はありますか?
佐野:2011年にサンティティエンヌ近くのMonistrol-sur-Loireという人口5,000人くらいの村でMOF(国家最優秀職人章)パティシエのブルノ・ モンクディオルさんと働いたことです。アジア人が一人もいない村だったので、村に一軒あるスーパーに行くと、指をさされたり、地元の新聞記者が「僕たちの街に日本人がやってきた」という趣旨で取材を受けるくらい、すごく珍しい出来事だったようです。山の上にあるお店なのでこの時期になると、20~30cmくらいの雪が積もっています。坂道が多くて毎日登山しながら出勤しないといけないっていう(笑)。
彼は地元を愛し、地産地消にこだわっている方でした。「今日は隣の牧場でとれた生クリームを使うよ」「今日は山で採れたブルーベリーを使ってケーキを作るよ」というように。私も福岡に生まれて自分の街に誇りを持っていますし、地元に貢献したいという気持ちがあります。パリで過ごしている時間とは違う影響を受けました。
Q:そのお店にはこの方と働くために?
佐野:南仏の製菓学校に通っていた時期があって、そこに特別講師として彼が来ていました。シェフのケーキを食べた瞬間に“恋に落ちた”というか。ぜひこのシェフのお店で働いてみたいと思って。ちょうど彼がお店をオープンさせて2年目くらいの時でした。すぐに休みを利用して村に遊びに行って学校が終わったら働かせて欲しいと頼んだら「いいよ」って。
Q:ほかのお店はどのように見つけたんですか?
佐野:シェフの紹介で、ということが多かったですね。一年過ごしてノエル、復活祭をやってお店の流れがわかって。はじめの3年間は地方を転々としてフランス中を回ってこのシェフの元で働きたい、と思ったお店で働いてきました。
パリって私の中では大都会で怖くて。福岡に25年間住んでいたのですが、東京にも2回くらいしか行ったことがありませんでした。パリに住むのは日本に帰る半年間くらいでいい、と思っていたんです。ところが、ブルノ・ モンクディオルさんが、私の憧れのパティシエ、クリストフ・ミシュラクさんと繋がっていて、紹介していただいたんです。私にとっては夢のようなことでした。それでプラザアテネで働きました。それからジャックジュナンで働き、今は無くなってしまったのですが、パティスリーシエルというシフォンケーキ屋さんからもお誘いいただいて働きました。
Q:パリと日本、2つのお店への想いを教えてください。
佐野:パリで作るからからこそ作ることができるチョコレートを日本のお客様には食べていただきたい。パリのお客様には日本人が作るチョコレートを知っていただきたい。作っているものは同じですが、2店のお客様への想いは違います。だからこそ“わたしのチョコレート”というものが確立できているのかな、と思います。
日本人だから日本の食材も使いますし、高品質のカカオと生クリーム。フランスだからこそ作れる味。日本では絶対に作れなかった味。パリは激戦区なので、やっていくのは必死ですね。
Q:日本のお店はお父様が見ているのですか?
佐野:はい。うちは基本的にチョコを卸しているだけです。両方は無理ですね。なので、本当は東京やいろいろな場所でオープンのお話をいただいていたのですが、私にはそれだけの技量はまだないと思いました。パリだけで精一杯。スタッフに支えてもらっているから今がありますし。やっと一年経って、私の中でもわかってきたことがあるので徐々にでもいいのかな、って思います。
Q:佐野さんの目標である「続けていくこと」とはどんなことでしょう?
佐野:
Q:お店を継ぎたいと言って断られ渡仏した経緯があります。
佐野:今はやっと私のことを認めざるを得ない状況になりつつあるはずです(笑)。ですが、いまだに三代目としては正式には認められていないです。「俺が死んだらあの店は潰せ」と言われています。「お前には無理だ」って。
Q:100年続けるためにはまずはお父様を納得させなければいけない。
佐野:はい。まだまだ心配ばかりかけているし、安心させてあげられていないですが、自分自身がもう少し大きくなって「安心して任せなさいよ」と言えるようにならんとな、って思います。まだまだ頭は上がりませんよ。

Les trois chocolats
Adresse : 45 rue Saint-Paul, 75004 ParisTEL : 01. 4461. 2865
アクセス : M°Saint-Paul
URL : les-trois-chocolats-paris.com
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