
広島・長崎の原爆投下で核の脅威を知ったにもかかわらず、世界は核開発競争へと舵をきった。1954年には、第五福竜丸が被爆(1954年3月1日静岡の遠洋マグロ漁船が、マーシャル諸島ビキニ環礁で米の水爆実験により、乗組員23人勢員が被曝)。広島の原爆の千倍の威力だった。


背景にはブロックを積んで壁をつくる人の姿が。
戦後、ドイツは米・英・仏・ソ連の4カ国が分割し、ベルリンは西は米英仏、東はソ連の管理となった。1949年には西ドイツ(ドイツ連邦共和国)と東ドイツ(ドイツ民主共和国)が成立。とはいえ、1961年までは自由に行き来ができたという。これが東西の差が明らかになってくると、東から西へと渡る人たちが増え、1961年ベルリン中央に有刺鉄線が敷かれた。当初は飛び越えられるほどの高さだったのがブロック塀に、そして堅牢な壁になっていく。

展覧会前半は、冷戦の出発点となった原爆、実際にベルリンの町を這っていた有刺鉄線や、壁に使われたブロック壁、壁の設計図など、時代を象徴するモノと証言が当時の緊張感を伝える。どんどん壁が高くなり、ソフィスティケートされる監視技術の下、必死に有刺鉄線の間を走り抜けたり、西ドイツに窓がある東ドイツの建物の住人は高い窓からでも西側に飛び降りたり、、書類を偽造してチェックポイントを通過しようとしたり、トンネルを掘って西側へと這い出る市民たちの映像や写真。分断された後の東側の生活も、多くの証言を聞くことができる。

後半は、「冷戦」が直接の戦闘をともなわなかったいっぽう、ベトナム、朝鮮、アフガニスタンなどでは、血で血を洗う代理戦争が激化し、旧植民地の独立への戦いでも多大な犠牲者が出る、血みどろの世界を俯瞰する。不条理に打ちひしがられていると、東欧革命があちらこちらで起こる。そして、誰も信じなかった史上最大の分断のシンボル、ベルリンの壁崩壊へとたどり着く。
入場料は高めで、見学は3時間ほどみたほうがいいが、必見の展覧会。展示会場の建築ミュージアム入口前には、本物のベルリンの壁が置かれている。9/28(日)まで




Cité de l’architecture
Adresse : 1 pl.du Trocadéro, 75016 Paris , Franceアクセス : M°Trocadéro
URL : https://www.citedelarchitecture.fr/fr/agenda/exposition/le-mur-de-berlin-un-monde-divise
火休。水金日11h-19h(最終入場17h30)、月木土11h-21h(最終入場19h30) 19.50€/17.50€/月曜は一律14.50€。
