ルソーの静かな食卓 〈5〉

カトリック教徒になったルソーは、1730年の夏、散策に出かけたサヴォワの村ラ・ヴァレ・ド・トーヌで、知り合いの女性ふたりと忘れられない一日を過ごした。自叙伝『告白』(1770年)に、その甘酸っぱいような日のことが長々と綴られている。

「わたしたちは農家の台所で食事をした。(中略)なんという食事!なんという魅力にみちた思い出! こんなに費用もかからずに、こんなに純粋でこんなに真実なよろこびが味わえるのに、どうしてまたほかの喜びを求める気になるのだろう。パリの料亭の夜食だってとうていこの食事におよばない。その陽気さやなごやかな喜びという点だけでなく、感覚のよろこびにかけてもそうなのだ」。(桑原武夫訳)

残念ながらワインはなかったけれど、この日のルソーはそんなことは気にしない。いつになくすっかりくつろぐことが出来たし、心底幸せだった。デザートには、果樹園のさくらんぼを。木にするするとよじ登った若き日のルソーは、さくらんぼの房を女友だちに向かって投げる。果実がドレスの胸元に着地すれば、3人で大いに笑い合った。
「わたしの欲しいのは純粋な快楽だけで、金はそれをだいなしにする。たとえば食卓の楽しみは愛するが、お上品なつき合いの窮屈はたえきれない」と書いたルソーのこと。18歳の夏に訪れたいきいきした食体験は、その趣味に完全に応えるものだった。底抜けに陽気なさくらんぼ狩りの場面は、多くの画家のモチーフにもなっている。

サヴォワの方言で「grêfions(グレフィオン)」と呼ばれるこのさくらんぼは、当時、標高約600メートルのこの小村で面白いように獲れた。その小さくて黒く艶々とした果実は、キルシュの原料としても重宝されていたという。(さ)


 

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