
Odilon Redon, Le Jour, huile sur toile, 200 E 650 cm, Bibliothèque de Fontfroide, © MAGFF
旅のきっかけは、一枚の写真だった。オディロン・ルドンが描いた「昼」と「夜」という、一対の大きな壁画のある図書室。ギュスターヴ・ファイエなるメセナがルドンに依頼した作品で、南フランスのとある修道院のなかにある。
そのメセナは、朽ちかけたその修道院を買って修復し、ルドンのほかにもガラス作家を招いて色鮮やかなステンドグラスを創らせた。ファイエ自らも内装をほどこし、庭をしつらえ、夏はラヴェルやピアニストのセヴラックを招いて、星空の下、音楽を楽しんだという。
いったい、このファイエとは何者なのだろうと気になって見ていくと、ベジエで17世紀からのワイン商として財をなした家に生まれ、家業を継ぎ、銀行を設立して事業に投資したりしながら、ルドン、ゴーギャン、ゴッホらの作品を蒐集。地元の美術館の館長をつとめ、自ら絵を描き、装飾芸術家として大成するのだが、その作品が、またすばらしい。

2025年はファイエ没後100周年にあたり、2027年まで3年にわたってさまざまな展覧会が開催される。パリでもルイ・ヴィトン財団で、今年末から来年にかけて2回にわけて展示が行われるから、ファイエが蒐集した芸術品から、ルドンの壁画、ファイエ自身の作品までが一堂に会するだろう。
とはいえ、それを待ってはいられない。ルドンの壁画がある図書室は月に一度、ご開帳となるのだ。その日に合わせ、オヴニーはまた南へと向かった。(六)

ファイエ夫妻、ルドン、ピアニストのリカルド・ヴィニェス、リシャール・ビュルクシュタル、作曲家シューマンほか、30もの顔が描き込まれた謎解きの絵のようだ。
Odilon Redon, La Nuit, huile sur toile, 200 E 650 cm, Bibliothèque de Fontfroide © MAGFF
蒐集家、学芸員、画家、メセナ…「万華鏡のよう」な人。
ギュスターヴ・ファイエ(1865–1925)は、ワイナリー経営とミディ運河の運営などで財を成したファイエ家のひとり息子として生まれた。今、ベジエ美術館となっている〈ファイエ館〉が生家で、この家のなかのアトリエで、バルビゾン派の画家ドービニーに絵を習った父ガブリエルと叔父レオンから絵の手ほどきを受けた。今でも、3人の、立派なバルビゾン派の風景画が残されている。

バルビゾン派的作品。Femmes dans un champ au bord du chemin. Gustave Fayet 1887
1893年、マドレーヌ・ダンドックと結婚すると、ダンドック家も大地主だったため、新婚夫妻はベジエ屈指の資産家となる。当時のベジエは、ラングドック地方のワイン生産の中心かつ集散地として黄金期にあった。1900年代にはワイン過剰生産と価格下落、生産者たちの反乱などがあるが、ファイエはワインをストックするための大きなタンクを造り、価格の安いワインを大量に買い蒸留所を造り、アルコールを売るなどして危機を回避したという。

ファイエは1899年の父ガブリエルの死後、美術品の蒐集を始めた。まずはルノワール、ピサロ、モネ、シスレー、スーラなど。友人にゴーギャンの作品を見せられて衝撃を受けたのも、神秘学の集まりで象徴主義の画家ルドンに出会ったのもこの頃だったが、それからこの二人に対しては支援を惜しまずに、ふたりの作品のコレクションを形成していった。
1900年にはベジエ美術館の館長に就任。美術協会の会長も兼任し、そのサロンでゴーギャン、ルドン、セザンヌ、そしてフランスで初めてピカソの作品を展示。この年、ピカソはフランスに来たばかりで20歳。ちなみに、フランスの公共美術館がピカソを買うのはその30年後。ファイエの先見性を見せつけるエピソードだ。
その後、美術館の館長を辞してパリ7区ベルシャス通りに住まいを移す。アパルトマンの壁いっぱいに前衛画家たちの作品を架け、絵の好きな人たちを招いて見せていた。
フォンフロワド修道院

フォンフロワド修道院を買うのは1908年のこと。政教分離法の実施で僧侶不在となった、11世紀に建てられたシトー派の修道院が競売にでたのだ。ファイエ夫妻が落札しなければ、ニューヨークの 「クロイスターズ美術館 (メット・クロイスターズ)」を創設したアメリカ人彫刻家ジョージ・グレイ・バーナードの手に落ち、他のフランスの教会のように解体され、アメリカに移築されるところだった。

Vues de l’Abbaye de Fontfroide, photographies,
© Rogier Fackeldey et Yann Monel
ファイエは、ゴーギャン、セザンヌ、ゴッホの作品を売って、広大な修道院の修復にあてた。自分でも棚の扉に絵や詩を書いたり、家具を骨董商から買い、助手カルボネルがスペインから買ってきた装飾タイルや角灯、装飾皿などを配置した。

この修道院の魅力はなんといってもルドンの壁画のある図書室だが、ピアニストでワーグナーの音楽を愛するガラス職人、リシャール・ビュルクシュタルとの出会いもフォンフロワド修道院修復にとって鍵となった。
音楽と絵画の世界を融合できる彼に、ファイエは食堂、音楽室のステンドグラス製作(テーマはワーグナーのオペラ4部作)も依頼した。そしてそのために、砂の質がいいパリ郊外のビエーヴルにガラス工房を造ることを決めるのだ(ファイエはその隣町イニーにシャトーを買って移住していたのと、ルドンもビエーヴルに住んでいた)。工房の土地はファイエが買い、ビュルクシュタルが窯を設計した。


「彼の魅力は万華鏡のようなところだと思います。さまざまな側面があり、それらが一体になると傑作が見えてくるような。彼は歴史的建造物を買い、自らその修復に挑み、成功しました。修道院の本質に戻ることがファイエの目的だったのかもしれません。その本質とは人が集まること、ホスピタリティ。その魂は今もフォンフロワドに生きているのだと思いますし、これから生かしてゆければいいと思います」と、ポンピドゥ・センターのル・ボン館長は敬意を表した。

【Inormations】
Abbaye de Fontfroide フォンフロワド修道院
住所:RD 613 Chem. de Fontfroide 11100 Narbonne
Tél : 04.6845.1108

毎日開館 :1月~3月は10h30 – 17h(時期により異なるのでサイトで確認を)。
入場料:14€/10€/19€ (ナルボンヌの考古学博物館Narbo Viaも入場可)。
ファイエ見学コース(Visite Fayet) : ルドンの壁画がある図書室とファイエがテーマの見学ツアーは、毎月1回公開。ガイド付き見学(所要時間90分)。大人29€ / 6–25歳19€。
レストラン : 1月20日まで冬期休業。ファイエ家の末裔たちが今も修道院の周辺で造るワインとの食事ができる。
月~金のランチは前菜+主菜/主菜+デザートで26.90€、前+主+デザートで29.90€(週末も可能)。
12歳までは子どもメニューあり。天候によりテラス有、夏はディナー可。
【パリからの行き方】
パリ・リヨン駅からナルボンヌまでは直行なら4h40。乗り換えで5時間程度。7月、8月なら鉄道の駅から公共バス LIO407番で修道院まで行ける (Fontfroide下車。所要時間20分)。それ以外の時期は20kmをタクシーか徒歩で行くしかない。
芸術家としての創作活動。

ファイエの創作活動を年代順に追うと、以下のようになる。印象派のような油彩を描いていた初期 (1891〜1902頃)。ナビ派が絵画だけでなく装飾芸術にも手を広げたように、陶芸に興味を持った1896年から1900年ころ。ベジエ出身の友人で画家、後にベジエ美術館の館長の座を継ぐルイ・ポールとともにアール・ヌーヴォー的な花瓶を70ほど創作している。植物をモチーフにした、ゆるやかにうねった形、鮮やかな配色。玉虫のように輝く釉薬を施したものもある。

© MAGFF
その後、印象派が目で見えたものを忠実に絵画に表現しようと努めたのに対し、ゴーギャンが輪郭と平坦な色の平面で人間の心の内側へと入り込んで、その複雑な世界を表現しようとするのに感銘を受け、油彩もパステルも奔放に鮮やかな色使いをするようになった1900年から1902年。
1902 〜10年は小休止。フォンフロワド修道院の修復などに時間を費やしたこともあり、絵を描くことは稀だった。しかし、この時期、さまざまな影響を”充電”していたのかのように、1910年にふたたび筆を握ると創作エネルギーに身を任せるように次々と作品を創り出した。戦時中はフォンフロワドで水彩画を描いたが、象徴主義者のように、絵画の 「テーマ」ではなく、日々の心の風景を吸取紙に描いていった。その紙質ゆえに、ぼんやりと浮かびあがるモチーフは幻想的で、じゅうたん製作へとつながっていった。

ポンピドゥ・センターのル・ボン館長は、「ファイエは、枠に入れられない、どんなアートの流れにも属さない、色づかいと詩情を表現する天才」と表現した。
芸術家ファイエの成就。

還暦を迎えようという頃になって、ファイエにアーティストとしてのキャリアが訪れる。フォンフロワドで吸取紙に描いていた水彩画を、壁紙とテキスタイル会社が商品化したのだ。
また、友人デュマ夫婦とじゅうたん工房をパリのドフィーヌ通りに設け、1920年、ファイエの絵のじゅうたん第一号が織り上がる。ギャラリー・ラファイエット、プランタンなど百貨店が興味を示し、ファイエのじゅうたんの店を開きたいというメセナまで現れた。

Portrait de Gustave Fayet en train de peindre,
photographie ©MAGFF
絵柄は、ルドンの 「昼」「夜」を思わせるもの、海藻やクラゲ、花、蝶などのモチーフ、日本美術を感じさせるものなど。1921年からはガリエラ美術館、デュラン・リュエル画廊、サロン・ドートンヌと展覧会が続き、ヴェルニサージュには富裕なコレクターたちが駆けつけ、生産が追いつかないほどだった。クチュリエールのジャンヌ・ランヴァン、インドのマハラジャ、アフリカの首脳からも注文が入る。
1925年の国際装飾博覧会にも出品するが、その翌年のパリ装飾美術館では、ルドンの作品と並列された。画家として尊敬し活動を支えてきたルドンと肩を並べることになったのは経済的にアートで自立することに加えての栄誉。しかしファイエは展覧会の前にカルカッソンヌで急死し、会場を見ないままだった。
没後は、社会の状況が変化し、ファイエの作品や功績はいったん忘れられてしまう。それが末裔たちの努力によって、100年後の2025年からすばらしい作品が多くの人の目にふれることになったようだ。

観に行こう!
2026-27のギュスターヴ・ファイエ展
Saison Gustave Fayet 2025-2027
https://gustavefayet.fr
⚫︎ Palais-Musée des Archevêques, Narbonne
ナルボンヌ司教館美術館

À la conquête de la couleur, Gustave Fayet et le paysage
〈色の征服 ギュスターヴ・ファイエと風景〉展
ナルボンヌと周辺の山、湖沼地帯、フォンフロワドなど、ファイエがもっとも好んだ風景画を集めた展示。油彩、パステル、脳裏に焼きつくような色鮮やかな水彩画を堪能できる。(1/23まで)
Place de l’Hôtel de ville 11100 Narbonne
1月は火休、10h-12h45/14h-17h 。12€/8€。

x 22,5 cm, inv. MAGFF.2013.0360, © MAGFF
⚫︎ Abbaye Saint-André 聖アンドレ修道院
Gustave Fayet et ses jardins imaginaires
「ギュスターヴ・ファイエ 空想の庭」 展

アヴィニョンの、ローヌ川をはさんだ対岸の町がヴィルヌーヴ・レザヴィニョン。この丘の上にサンタンドレ修道院がある。ファイエが1916年、友人の詩人エルザ・ケベルレのために買い、ケベルレはそこに住みながら修復を進め、ファイエがプロヴァンスを訪れる際の拠点となった。庭の自然と、そこからインスピレーションを得たファイエの装飾作品を展示。(3/1〜8/2)
Abbaye Saint-André:Fort Saint-André
Rue Montée du Fort 30400 Villeneuve-lès-Avignon
⚫︎ Abbaye de Fontfroide フォンフロワド修道院
Gustave Fayet, Symphonies décoratives à Fontfroide
「ギュスターヴ・ファイエ、フォンフロワドと装飾の交響曲」 展

時代もスタイルも異なる彫刻、スペインのタイルや角灯、ビューグスタールのステンドグラス、ルドンの壁画…異なる装飾の要素が、千年前に建てられた修道院のなかで調和する。ファイエは装飾という交響曲の指揮者でありフォンフロワド修道院という総合芸術こそが彼の最高傑作である、という趣旨の、新しい見学コースに参加できる。
⚫︎ Fondation Louis Vuitton ルイ・ヴィトン財団
2026年秋〜2027年3月まで
ファイエ展を2部に分けて開催。
第一部は、20世紀初頭からゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ、ルドンらの才能と価値を見抜いた蒐集家としてのファイエを紹介。第二部では、1895〜1925年の装飾芸術作家としての創作活動を紹介。
詳細は発表があり次第オヴニーで紹介します。



