Q : お生まれは?
渡部: 1974年、今44歳です。熊本出身、人吉という鹿児島寄り、南の町です。
Q : 水俣のほうですか?
渡部:もっと上です。人吉は八代から 30分ぐらいのところにあります。熊本から八代は 30分です。人吉城とか、球磨川温泉とかね。本当に田舎から出てまいりました。
Q:田舎からまずは東京に出てきたんですか?
渡部:そうです。21で東京に出てきました。気づいたら、熊本に僕は21年、そして東京には20年いたんですよ。そしてフランスにはまだ2年、3年目です。だから20年、20年、20年で行こうか、とちょっと思っています。
Q:するとフランスにも20年いらっしゃるおつもり?東京に行った理由は?
渡部:もともと父親が料理をやっていまして、洋食を東京でやっていたんです。父の出身は三重県の四日市ですが、祖父の仕事の関係で北海道などあちこちを転々としていたらしいんです。でもやっぱり料理といえば東京じゃないですか。それで僕は「料理は東京だ」と親父から東京の話をずっと聞かされてきた。
Q:お父様は東京で洋食をやっていらした、というけれど渡部さんは熊本にいらしたんですよね?
渡部:そうです。母が熊本出身で、結婚してから父も熊本にきました。父は熊本で居酒屋をしていまして、僕は高校ぐらいから父親の店を手伝っていました。僕は父親の料理で育った感じです。
Q:洋食ですか?
渡部:まあ洋食ですけれど、やっていた店は和洋折衷というかなんでも出す店、居酒屋でした。ただ基本は洋食でしたね。そこで手伝っているうちに、僕も料理をやりたいな、と思うようになりました。その頃僕は野球をしていたんです。田舎の、人吉高校で甲子園を目指したりもしました。
Q:ポジションは?
渡部:左利きなんで、ピッチャーもやったりしましたけれど、肘を痛めまして外野に移りました。だから野球が最初の挫折です。中学ではサッカーをしていたんですけれど、高校3年間はもう野球でした。
Q:高校卒業後は?
渡部:父親の店で働き、母親もスナックをやっていたんで、そちらを手伝ったり、それから知り合いがやっていた鰻屋、和食屋を手伝ったりしていました。3店舗掛け持ちで働いていたんです。朝から鰻屋で、それからおふくろのスナックに、最後は親父の居酒屋でという具合で1日が終わる。
Q:そうして21歳の時に東京へ。
渡部:そうです。まあ田舎は楽しいんですけれど、料理の腕を磨くという環境ではなかったんです。急に「このままじゃダメかな」と思いまして。料理の勉強をするなら東京、という知識しかなかったんです。あのころは三國(清三)さんなどが有名な時代で、料理イコール東京、だったんです。もちろん東京には憧れていましたしね。
Q:そして東京では何を?
渡部:まずはイタリア料理を少しやりました。ペイペイですよ。イタリア料理は、店を転転としながら2-3年。そしてCafé de Floreカフェ・ド・フロールのフランチャイズ店が表参道にあって、わかりますか?そこに2年いました。自分の意思でではなく、紹介で入ったんです。
Q:ちょうどLes Deux Magotsドゥ・マゴが渋谷の東急にあった頃ですよね?
渡部:そうですそうです。
Q:ところでカフェ・ド・フロールでは何を作っていたんですか?
渡部:裏にはレストランがあったんですが、カフェの方ではサンドイッチ作ったり、オムレツ作ったり、時にはギャルソンもしてました(笑)。もう何て言うのか
Q:オールマイティーに
渡部:そう、オールマイティーにやっていましたね。
Q:カフェ・ド・フロールのあとは?
渡部:ル・ブルターニュ、今の店の系列です。25歳でした。
Q:それは表参道店?
Breizh Café Montorgueil
Adresse : 14 rue des Petits Carreaux, 75002 ParisTEL : 01.4233.9778
アクセス : M° Sentier
無休