M子さんは来年4月で90歳。在パリ60年。夫は1895年、札幌で14人兄弟の1人として生まれ、クラーク先生の有名な言葉「少年よ、大志をいだけ」を実行するため満州に行った友人が多かったが、彼は釧路で教員になる。1924年彼は船でマルセイユに。1921年以来在仏の青山義雄画伯とも交友し第2次大戦時40年に帰国。51年、再び渡仏し室内装飾・漆芸家となる。
M子さんは、東京に講演に来た彼と出会い、56年に結婚。彼の作品は37年パリ万博の日本館では断られたがフランス館に出品されグランプリを獲得。38年、旧満鉄がマドレーヌにあった画廊で彼の個展を開催。今年9月グランパレでの骨董見本市にニースの収集家が所蔵していた亡夫(82年に死去)の装飾パネルが出品された。M子さんは、夫の死後アリアンスでフランス語を学ぶ。以前白内障や網膜剥離の手術を受けたが、視力が弱り今は全盲。息子2人と娘がいる。長男が付近に住み、娘さんはギリシャ人と結婚し子供2人と共にカナダに在住。
目の見えない日常生活はどうしていますか?
今は全盲ですので身体障害高齢者のために派遣されてくる3人の女性が1日おきに交替で毎回2時間ずつ来てくれます。掃除と買物をしてくれ、シャワーを浴びるのも手伝ってくれます。エレベーターのない4階に住み、73段の階段を数えながら登り降りしています。脚の運動にも健康にも良いのかもしれません。パリは身体障害者向けのPAMというサービスが完備しており、車椅子でも乗れる車が送迎してくれます。
日本人在住者とのお付き合いはありますか。
パリには俳句や短歌のサークルがいくつかあります。パリにおられる画家でもある浄土宗のお坊さんの講演会が月1回あり、歌会にも参加しています。私は50年来変わらない日本語を話していますので、若い方から「M子さんの日本語はあまりにも丁寧すぎて怖い」と言われます。私は日本人以上に日本人なのかもしれません。
日本に帰りたいと思われますか。
何年かフランスに滞在後、帰国された人たちは、歳暮・年始・中元・冠婚葬祭と様々なお付き合いでがんじがらめになるのが辛いそうです。それは日仏文化の違い以上のものだと思います。
M子さんの句 「ありがたき友のなさけや酔芙蓉」