純銀食器といえば、かつて貴族やブルジョワ階級が使った高級品というイメージがあり、日本人にはあまり馴染みがない。だが、フランスではある程度裕福な家庭で代々受け継がれ、割と身近な存在であるらしい。
銀食器を作る金銀細工師 (orfèvre)という職業は古代にさかのぼり、パリではすでに13世紀頃に多数の金銀細工師がシテ島西側にアトリエを構えていたといわれる。Quai des Orfèvresという通り名が示すように、この地区は長く金銀細工のメッカだったが、19世紀にはマレ地区やその周辺に中心が移った。17世紀から王族や貴族が次々と館を構えたマレ地区には顧客が多く、19世紀半ばには宝石・金銀細工業は2017のアトリエを持ち、1万人を雇用していたという。
そのマレ地区のはずれに、1910年からカトラリー(ナイフ、フォーク、スプーン)を中心にした純銀食器を昔ながらの製法で作っている、リシャール・オルフェーヴルというアトリエ兼店舗があるというので訪ねてみた。3区の閑静な通りの石造りの建物の中庭を抜けたところにある、モダンなインテリアに高級感が漂うブティックだ。
社員2人だけの会社の現社長は、弱冠36歳の金銀細工師ジャン=ピエール・コテ=デュブルイユさん。最初の3代はリシャール家だったが、4代目の社長(現在もアトリエで働くフランシスさん)から2012年に同社を譲り受けて5代目に。4歳の頃からキャンドルスタンドを集めていたというほど金銀細工好きのジャン=ピエールさんが、宝石学校で3年間金銀細工を学んでからリシャール・オルフェーヴルで10年間働いた後のことだ。
ブティックの奥にある小さなアトリエでジャン=ピエールさんがフォーク作りを見せてくれた。南米産の純銀(銀95%+強度増のための銅5%)の棒が材料だ。12cm程度の銀棒をバーナーで熱してから金鎚で叩いて伸ばすのだが、ほぼ勘だけを頼りに銀をフォークの形に近づけていく。これを何度か繰り返して大体の形ができたら、型の間にはさんで1904年製の巨大なプレス機にかけると完全なフォークの形になる。フォークの歯の間を研磨機で空け、磨いて品質保証の極印を押したら出来上がりだ。
下請けに出さずに自社で銀食器を作っているのは国内でおよそ10社。純銀カトラリーを手作りしているのは同社だけだ。クラシックなカトラリーのほか、現代作家のデザインのコレクションにも力を注ぐ。キャンドルスタンド、鍋、コップ、皿などのテーブルウェアも製作しており、レストラン、専門店などプロ向けが5〜6割に上る。ティースプーン1本でも130ユーロと値は張るが、「200年は使えるので子孫に残す財産として少しずつ買い集める人もいる」そうで、修理の依頼も多い。「この仕事はとにかく金銀細工に情熱がないとできない。次の代はそういう人に譲りたい」とジャン=ピエールさんは語る。(し)