昨年10月22日に出版されたステファン・エッセル著『Indignez-vous! 怒りなさい』が100万部を超える売れ行き。本文20ページ足らずの小冊子(3€)で、昨年ゴンクール賞を受賞したミシェル・ウエルベックの『La Carte et le Territoire』の45万部をはるかに追い抜いて、ノエル用のプレゼントとしてばか売れした。
「レジスタンスの第一の動機は憤りにあった。レジスタンスの理想を若い世代が受け継ぐよう訴えたい。そして言いたい。『怒りなさい』と。(…)私の長い人生で、憤ることが正しいということが何度となく証明されてきた」。エッセルは、この小冊子で、貧困者を軽蔑する銀行、市民のさまざまな既得権をあざける国家に対し、若者たちは怒りを表明し、滞在許可証のない外国人やロムのために反抗せよと説く。最近はテレビのトークショーにもひっぱりだこだが、優雅な身のこなし、ゆるがない信念、そして93歳とは思えない才気煥発(かんぱつ)な話し振りで周りを魅了している。
ステファン・エッセルは、1917年ベルリンで生まれ、1925年にフランスに移住する。両親はユダヤ人。母親は画家。トリュフォー監督の『Jules et Jim 突然炎のごとく』で二人の男に愛されるカトリーヌは、彼女がモデルになっている。父親はプルーストをドイツ語に訳した人。1937年にフランス国籍を取得。1939年にエコール・ノルマル・シュペリュールに入学し、メルロ=ポンティらの講義を受ける。第二次大戦でドイツ軍の捕虜になるが、脱走してロンドンのドゴール将軍の指揮下に入る。1944年フランスの戦線に戻るが捕えられ、ドイツのブーヘンヴァルト強制収容所に移送される。ここでも脱走に成功したものの、再び逮捕されるが、またまた列車から飛び降りて逃亡し、欧州で戦っていた米軍に加わる。戦後は国際連合事務局に入り、世界人権宣言の起草に寄与する。アルジェリア戦争当時は、アルジェリアの独立運動を支持。1981年ミッテラン大統領によって、フランスの国連大使に任命される。現在も、ユダヤ人であるにもかかわらず、パレスチナ人の側に立ってイスラエル商品ボイコットのキャンペーンを行うなど、積極的な活動を続けている。
この小冊子に対し「憤るということは、盲目的な社会参加への一歩だ。それをすすめるよりは、理性的に考えることをすすめるべきだ」、「論理はあいまいだし、彼の呼びかけはパンフレット以下の説得力」などの批判が上がっている。ところが最近チュニジアで、一青年の焼身自殺に端を発した若者たちを中心にした連日のデモが、ベンアリ長期独裁政権を崩壊させたことを考えると、エッセルの『Indignez-vous!』の影響力を無視できなくなってきた。(真)
写真:「ステファン・エッセル、憤りがベストセラーに」と題された12月30日付リベラシオン紙の表紙。