© musée Marmottan, Paris Bridgeman Giraudon
今年は、モネのファンには嬉しい企画展が続く。9月22日からグランパレで大回顧展、その前が、このマルモッタン美術館での展覧会だ。またモネか、と言わずに覗いてみるといい。限りなく抽象に近づいた作品を、モネの影響を受けた抽象作家たちの作品と比べると新たな発見があるだろう。
モネは、1950年代になって、アメリカ人抽象表現主義の画家たちから再評価されるようになった。マーク・ロスコ、ジャクソン・ポラックらだ。展覧会では、モネとこれらの画家の作品を隣り合わせに展示している。いくらモネが抽象に近いといっても、通常、美術館では展示室が時代別になっているため、抽象画とモネを同時に見られることはない。その意味で、めったにない企画である。
色や空間の構成、筆致が似ている作品など、「モネの影響」はさまざまだ。しかし、技術的なことはさておき、展示された他の作家とモネとの一番の違いは、モネにあってはどんな作品からも土の匂いがすることだ。空気や水の匂いであったりもする。そしてすべてが有機的だ(建物でさえも)。ジヴェルニーの庭を描いた〈Le Pont Japonais日本の橋〉からは、水面下、地中での動植物のうごめき、幹を上っていく樹液が感じられる。
モネの作品を見ていると、脳の原始的な部分が刺激される。頭を使うことなく、素直に感覚に心地よさが伝わる。そこが、モネがこれほどまでに人々に愛される所以なのだろう。それに比べると、ポラックやトビー、ヴィエラ・ダ・シルヴァの作品は、もっと頭脳的で知的だ。
展示作家の中で、心情や感情の表し方が一番モネに近く、頭脳的というより情感に訴えるのは、ニコラ・ド・スタールとジョーン・ミッチェルだ。ただし、会場のミッチェルの作品は、それがわかる最良のものではないので、別の機会に、モネを頭に置いて彼女の作品を見てみるといい。
会場の最後に、「睡蓮」の鋼 (はがね) 版ともいえる、緑の水面を引っかいて下の白と朱を浮き立たせたゲルハルト・リヒターの〈Abstrakt Bild, See抽象画・湖 (海) 〉がある。モネの「柔」に対する「剛」にはっとさせられる。食事の最後を濃いエスプレッソで引き締めるかのように、展覧会の味わいを一段と濃くする作品だ。(羽)
9月26日迄。月休。
Musée Marmottan : 2 rue Louis-Boilly 16e