知らない国を手軽に体験してみたい、現実にないおとぎの国に行ってみたい…そんな欲望を満足させてくれる存在がドリームランドだ。フェイクだったり、周りの環境とまったくそぐわないキッチュな建物だったりする。そのミスマッチが魅力的と映るか、悪趣味と映るか。ドリームランドを求める人間の心理について、アメーバのように考察が広がっていく。美術の枠を超えた展覧会だ。
19世紀末のパリ万博は、万博本来の教育的な目的を超えて、大掛かりな娯楽施設になった。外国に行くことができない人たちは、そこでつかのまの夢を見た。アメリカ東海岸コニーアイランドとパリに作られた「ルナパーク」もその延長線上にある。1939年のニューヨーク国際見本市のためにダリが作ったエロティックなパビリオン、「ヴィーナスの夢」。このあたりまでは美意識が感じられるが、ラスベガス風景に及ぶと、キッチュ度が一気に高まる。ニセのヴェネツィアの広場やエジプトが、乾いたアメリカの風景の中に忽然と出てくる。ラスベガスのヴェネツィアは東京のお台場そっくりだ。お台場に行ったときはそう不思議に感じなかったが、こうして似たような風景の写真を見ると、遠くから、ドリームランドにいた自分を客観的に眺めることができる。
現実からの一時的な逃避場所だったドリームランドは、しだいに現実の生活の場そのものになっていく。砂漠にできた人工都市ドバイがそうだ。
夢が現実となったとき、夢の使命は終わる。ドバイは見事なほどに人工的ゆえに、いつまでもまぼろしの中で生きているような錯覚を植えつけるかもしれないが、それとは対照的に、夢と現実の落差を感じさせる極めつけが、上海郊外のテーマパーク都市だ。都市計画の一環として、上海を囲んでドイツ町、イタリア町、オランダ町、スウェーデン町など、人口数十万人の町を、各国から建築家を招聘(しょうへい)して造らせた。中国文化を無視したイレモノだけの町で、住民たちはイレモノを無視した中国的な生活を送っていくのだろう。ドリームランドと生活臭は相容れない。ドリームランドの中で生活することは、ドリームランドを破壊することだ。大掛かりなだけに、何十年かたった後にどうなっているのか、興味は尽きない。(羽)
ポンピドゥ・センター:8月9日まで。火休。
Florian Joye Bawadi “Desert Gate, 2005”
© ecal-Florian Joye