Bernard Kouchner– 社会党から寝返って外務相に就任した。 N° 611 2007-06-01 ビアフラ、ソマリア、ボスニア、コソボなど人道的な国際救援活動の前面に立って活躍してきた「フレンチドクター」ことベルナール・クシュネール氏(67)が、またまたメディアの脚光を浴びている。といっても今回は救援活動とは無縁。社会党幹部として終始ロワイヤル大統領候補を支持してきたにもかかわらず、サルコジ大統領からの「外務相」という魅力的なプレゼントに屈してしまったからだ。国民議会議員選挙で苦戦を強いられそうな社会党にとっては寝耳に水の「裏切り」。即座にオランド書記長は「クシュネール氏はもう社会党員ではない」と発言。それに対し新外務相は「外交には右派も左派もない。日々変動する世界の中でフランスの国益を守ること。大統領は私にフランス外交を率いるという名誉を与えてくれた時に、同時にサルコジ支持者になってもらおうとは思ってもいないはずだ」とルモンド紙上で答えた。 1939年にアヴィニョンで生まれる。父同様に医師を目指し、医学部に入学。1968年5月には、パリ大学医学部のストライキ委員会の幹部だった。その直後に、赤十字医療支援の一員としてビアフラで活動。その時の仲間たちと1971年に『国境なき医師団』を創設する。ところが1979年に、同組織内でクロード・マリュレ氏と対立して離脱。新たに『世界の医療団』を創設したが、次第にメディアを意識したようなスタンドプレイが目立って批判の声が強くなる。1992年、社会党内閣の厚生相であったクシュネール氏は、小学生などを対象に、一人1キロの米をソマリアに送ろうと呼びかけたが、その輸送態勢がまったく整っていず、結局、テレビカメラマンを総動員して、その前で米袋を笑顔でかつぐ彼の姿だけがアピールされた形になった。その後は、内戦などで苦しむ避難民の救援活動のために「内政に干渉する権利」を主張してきた。 現在の妻は、ベルギー出身でテレビで大活躍しているジャーナリスト、クリスチーヌ・オックラント。(真) Share on : Recommandé:おすすめ記事 フランスにもいたオモシロ候補。 冬空や青い目玉で五七五! 「人間的な、あまりに人間的な」 ブリュッセルからシャンソンの新風が。 初の依頼人はドンキホーテ? 念願のウィンブルドンで優勝。