1月末以来、朝昼夕と国営ラジオ局フランス・アンテールのニュースの時間になるとジャズやらロックミュージックに切り替えられ、かなりの市民はフラストレーションを感じていたはず。 同放送局のジャーナリストたち(社員4000人のうち610人)が、国営テレビ局FR3の同僚たちと同一額の給与(17.5~20%の差)を要求するストライキだ。 組合側に言わせれば、1994年に文化省と経営者との間で給与格差調整セルヴァ案が成立したにもかかわらず、格差は広がるばかり。ストの余波はフランス国際放送局(RFI)にも及んだ。アイヤゴン文化・コミュニケーション相に「国営企業の内紛に政府は介入しない。組合と経営者同士で解決すべき」と突き放され、ダダをこねる子どもに親がてこずったはて、ストは放送史上最長18日間続いた。2月13日、ついに労使交渉が成立。毎年労使交渉を行い、2005年はベア3%。この3月に400ユーロの特別手当(税込)を支給。スト参加者への給与不払い額は、年末まで分割で毎月給与から差し引くなど。 国営放送局の長期ストを背景にはでな火花を散らしたのが国営テレビFrance 2。2月3日夜8時、ジュペUMP総裁(パリ市から出した自党職員への架空給与容疑の一審で有罪判決)の進退をめぐり同局のニュースキャスター、ダヴィッド・プジャダがトップニュース「ジュペ氏引退」と題し「ジュペ氏は徐々に、部分的に引退する」と独断情報をスッパ抜き口調で放った。 かたや民放TV局TF1は同じ時間にニュースキャスター、ポワーヴル=ダルボールによる実況インタビューで、ジュペ氏は「自分は政界を去らない」と断言。France 2がシマッタ! と叫んでもあとの祭。TF1によりますと、とは口が裂けても言いたくない。翌日のニュースでプジャダは「情報解釈のうえで過ちを犯したことに対しお詫びいたします」と謝罪し、自ら2週間の停職を申し出た。が、マズロル報道部長は3日間過ちを認めようとしない。スタッフたちはこのドジこそ、最近の報道班上層部の体質のせいと弾劾する。 プジャダはTF1系のニュースTV局LCIを経て2001年にFrance 2のニュースキャスターに(当時36歳)。彼は”鋭利な辛らつさ”が買われ、France 2を”ダイレクトな直撃スタイル”にしたいと野心満々だった。が、周りからは”傲慢”、”自己中心主義”と白い眼で見られていたよう。マズロル部長(61)も民放畑からスカウトされ2001年にFrance 2の報道部長となり、政治家に質問する番組「100分間の説得」などの司会者も演じている。マズロル部長のモットーは広く底辺まで視聴者層を広げること。そして視聴率を上げるためにはどんなことをしてもTF1に追いつけ追い越せ戦略が今回アダになったよう。 ついにスタッフたちは報道班不信任投票を行い「報道部長不信任」67.4%、「20時の報道班不信任」69.4%と、マズロル、プジャダにダブルパンチをくらわせた。同日マズロルは部長の座を去ると表明。 市民は国営・民放戦線の裏舞台を見せられたかのようだ。(君) |
2月3日夜8時のTVニュース *大半の番組は民間プロダクションに下請け。 |