1998年のある夏の日。 ディルクさん(当時38歳)の、空屋だった隣のアパートに女性が引っ越してきた。「きれいな人だ」とディルクさんは思った。彼の住まいは38m2、テラスはそれより広く40m2ある。新しい隣人のアパートも条件はほぼ同じ、住居40m2、テラス40m2。双方のテラスの間にはもちろん仕切りがあるが、時おり、仕切りと壁の隙間から彼女の影がチラリと見える・・・。ディルクさんはすぐに “近所付き合い” を開始した。「コピー紙が切れたので貸して下さい」、「テラスで何か飲みませんか?」 そして興味がさらに膨らんだ、ある日。テラスの仕切りと地面の隙間から、小さな植木鉢をテラスの向こう側に滑りこませ、「風がわたしの植木鉢をあなたのテラスへ運んでしまいました。持ってきてもらえますか?」と彼女の扉に貼り紙をした。下心の明らかなこの作戦は美しい隣人の弟の大不評を買い、戦況は不利に傾いたかに見えたが、それを機に彼女がディルクさんをテラスでの友人たちとの食事に招いてくれた。 1998年、夏の終わり頃。 ベルギーのブリュージュ出身で在仏15年、内装建築家のディルクさんと、隣人・公証人書生のサンドリーヌさん(当時27歳)は、出会いから1カ月後には恋に落ちていた。翌年婚約。2000年に結婚。自然に二人のアパートを分断する壁とテラスの仕切りを壊し、大きな一つの住まいにする構想が練られた。40m2のテラスが二つあっても仕方ない、と、テラスの一部には屋根をつけて居住空間を拡張し、片方の浴室はなくして、というふうに新居改造の設計図が引かれた。双方のテラスには自動撒水システムを設置し、蔓棚を作り、ブドウを植えた。 2003年6月、引っ越し。 彼らの壁壊しプロジェクトは「壁」にぶつかった。区役所は、住居スペースを拡張する改造案を許可しなかったのだ。生後7カ月のジュリーちゃんが加わった3人家族は、同じ11区に住まいを見つけ、引っ越した。ディルクさんは今までの住まいを、趣味の絵のアトリエ、設計模型工房、設計事務所として使うようになり、仕事の後は車で家庭へと帰る新生活を始めた。幸せな、ある愛の物語。(美)
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1999年12月の台風で前の仕切りは壊れた。テラスの新しい仕切り。
テラスからの図。 |
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Palais du Commerce | |
ここベルヴィルの名は、Belle Vue(よい眺め)に由来するという。ディルクさんのテラスからは南側に建設中の幼稚園、準備中の写真美術館、写真エージェンシー〈Magnum〉や、写真スタジオが入っている、テニス・シューズ〈spring court〉の工場跡を改装した建物などが見える。建物の北側のアパート群も以前は廃墟だったが、今では公園に。再開発が進む区域だ。 ディルクさんは〈Palais du Commerce〉 の建物が好きという。アールデコスタイルの趣ある建物だが長い間、サルサの殿堂〈La Java〉が一軒入ってるだけだった。 行ってみるとチュニジア情緒そのものの「ジャスミンの香り」というティーサロンができていた。ベルヴィルへのチュニジアやマグレブ諸国からの移民の波は60年代から始まった。今ではフランス生まれの二、三世が多いが、このカフェのオーナー兄弟カリムさんとフーシンさんは70年代にベルヴィルに移住。甘いミント茶のあとで水を頼むと、現地流にチュニジア製の大きな陶器のカップに、オレンジの花のエッセンスをたらしてくれる。店内は水パイプの甘い香りでいっぱいだった。(美) |
*l’Odeur du Jasmin : |