●Weitzmann “Mariage mixte”
この小説の基盤には実際に起きた不可思議な事件がある。9歳の子供が行方不明になり、妻と別居していた父親が殺人容疑で逮捕される。一時釈放された彼は逆に妻に容疑をかけ、私立探偵を雇って幾つかの証拠らしきものをえるが、裁判では彼が殺人者とされる。不思議なことに、最後まで子供の遺体は発見されず、子供の真の父親とされる妻の愛人も殺されて発見される。小説の最初の1/3は、この全く「小説的」な事件−Affaire Turquin−の背景を三人称で描く。
残る2/3は、一人称で語られている。語り手は作家であり、彼自身の人生、作家業、同じく文学者である叔父の葬式、前作のモデルとなった父親が語られる。そしてユダヤ人の血を引き継ぐ語り手−第二次世界大戦を体験した叔父と父親の次の世代−は自己のアイデンティティーを模索する…。
一見別々のものに思われるこの二つの現実は、密接に交錯している。実際の事件の真実を探す語り手は、ついにはそのきっかけとなった事件の当事者と出会う−語り手は自分の生み出すフィクションの中に入っていく。また、自己の探求という主題においても、実際の事件における父子の関係と様々な (反) ユダヤ的モチーフが語り手の想像力を介して、彼自身の個人的なユダヤの問題と父親とのオイディプス的関係に反響し、非日常的事件は彼にとって最も現実的なものとなる。
こうした小説の読みにおいて重要なのは、虚構と現実の関係や境界ではない。虚構と現実の絶え間ない揺れ、虚構と現実の交わりの体験が、その文学体験だ。文学の虚構性が告発され続けた20世紀の終わり、ここに見られるのは、常に現実と虚構を操ってやまない文学の−おそらくは新たなる千年期の−力と可能性の一つなのではないだろうか? (樫)
Stock, aout 2000, 334p., 125F