第二次大戦中の1944年7月31日、サン=テグジュペリが操縦していた偵察機ライトニングP38は、コルシカ基地を発った後ドイツ軍に撃墜され地中海に消えて行った。そのとき彼が身につけていたネーム入りの銀のブレスレットが 9月7日、マルセイユ沖でトロール船に引き上げられたことで、54年来謎に包まれてきた作家サン=テグジュペリの死の伝説が新たにマスコミで話題になっている。
引き上げられたブレスレットの裏側には<Antoine de Saint-Exupery (Consuelo) c/o Reynal and Hichcock Inc.,384 4th Ave N.Y. City USA>と彫られている。Consueloは、サン=テグジュペリの妻、アルゼンチン女性の名前で、次に続く社名と住所は、米国で英語版「星の王子さま」を発行した出版社のもの。このブレスレットは同社が1943年に著者に贈ったものであることが判明した。引き網の中からさらに、偵察機の残骸の一部と見られるアルミの破片2個も見つかっている。
サン=テグジュペリの死にまつわる謎というのは、1994年にある証人が語ったところによれば、すでに1944年9月3日にトゥーロン東部のカルケランヌ村の沖合で彼(?)の死体が見つかっており、村の墓地に埋葬されているのでは、というもの。遺族はこの遺体の発掘を拒否している。
さっそくマルセイユの潜水業者コメックス社が、音響探査機を使ってマルセイユとバンドールの間の直径100キロにわたる海底探査を開始したが、「サン=テグジュペリは “星の王子さま”となって消えて行ったのでそのままにしておいて」という遺族の願いだけでなく、漁師が発見物を48時間以内に警察に届ける手続きを怠ったという理由で10月30日、海軍当局は海底探索を中止させた。
1900年リヨンの貴族の家庭に生まれ、徴兵ではじめて空軍の飛行士となったサン=テグジュペリは、20代に定期便のパイロットとなり、サハラ砂漠の飛行場の主任も務めている。こうした彼の体験をもとに「夜間飛行」「人間の土地」や童話「星の王子さま」が飛行の合間に綴られた。絶えず危険にさらされながら自己克服に努める操縦士として空高くから、日常のしがらみにとらわれた私たちに生の美しさを届けてくれた飛行作家サン=テグジュペリ。
操縦士としては最高齢の44歳で空中に散り、砂漠ではなく海底に消えていったというのも彼らしい、唯一の遺品ブレスレットを波に託して——。
(君)