福山司さん(52歳)
初めてお会いした集まりの席で福山さんの言動をこっそり観察しながら、福山さんはフランス人社会の中で随分と揉(も)まれてこられたのだろうと思った。熊本生まれ、大阪の学校を出て就職した店の先輩に「パリへ行ってこい」と言われて1986年に渡仏した福山さんは、最初の日本料理店以外ではフランス人たちの間を渡り歩いてきた。いい出会いもあったし、世話になった人たちもたくさんいるけれど、とにかく一つの店に入るとその店の「核を担う」までは働き続ける。フランスに長く住み、言葉が理解できるようになると、当然フランス人の嫌な面も見えてくる。ただ、どんなもの、どんな人にもいい面と悪い面があるならば、いい面を見ていこうと思っていると福山さんは言う。現在の店には15年前にシェフとして入り、その後共同経営者として出資をして、今は「100%自分の店ではないのが歯がゆい」けれども筆頭株主にまでなった。経営者として従業員12人の生活を保障しなければならないことに責任を感じるとはいえ、そのこともまた「楽しいですよ」と語る。福山さんの頭には先輩の「苦労とは労を苦にすることだ」という言葉が今でもこびりついている。労を苦と思ったら負け、だからその前に出せる力で勝負するのが福山流。そのポジティブな面に私は好感を抱く。 (海)
インタビュー全文:
Q:お客さん、いっぱい入っていますね。
福山:昨日はガラガラでした。
Q:そういうものですか?
福山:月曜の昼は暇なことが多いんですが、昨日は特別でした。今日来ていただいてよかったです。
Q:来る人たちは、地元の人が多い?
福山:ブーローニュにオフィスが結構あるのと、この近辺、川の反対側にあるテレビ局の人たちなどが昼には来てくれます。
Q:まず、この前初めてお会いした時に「22歳の時にフランスへ来た」とおっしゃっていましたが、そもそもフランスにいらしたのはなぜ?
福山:僕は、大阪の調理師学校を卒業する時に就職を、ということで当時ニューヨークが本店で東京、名古屋、大阪、札幌にも店のあったプレイボーイクラブの大阪店に入りました。他にも候補はありましたが、その店ではフレンチが主体、シェフ、2番手のシェフもフランス帰りの人で、その他にもフランス帰りの先輩が数人いました。そこで先輩たちからフランスのいいところばかりを聞いたんです。
Q:いいところとは?
福山:フランスの自由、料理において自由に気兼ねなくできるとか、周りの人たちとのしがらみがない、とか。そのことが僕の中で印象に残っていて、さらに僕がとても尊敬する先輩から「お前は細かいことにこだわりすぎる。もっと大きくなれ。日本にいたらダメになるからフランスへ行ってこい」と言われた。2年ほどフランスにいた彼はとてもダイナミックでおおらかな人で、とりあえず自分が仕事をしたことのあるパリの鉄板焼きの店へ行けとレールを敷いてくれました。だから僕は1年半ということで、その紹介された店で仕事を始めました。
Q:パリのどこにあったお店ですか?
福山:オペラ界隈、1986年のことです。ちょうどモンパルナスのTATIという服飾店でテロ事件があった時期で、そのせいで外国人に対してのヴィザがおりにくくなっていた。同時期に起こった日本食レストランの脱税問題で日本人に対してもヴィザがおりにくくなっていた時期でもありました。結局僕はその店に1年半いても紙がもらえず、どうせなら、とフランス料理レストランへ修行に出ました。そこからが始まりです。
それから色々な人に出会い、影響を受けた。本当にいい出会いいばかりでした。もちろん僕は昔から、自分にとって良い影響か悪影響かを選んできたつもりです。この人はちょっと…と思う人との付き合いは避けるようにしてきました。その代わりに「この人」と思える人にはコンタクトを積極的にとる。
Q:すると、その焼肉屋さん以降はフレンチへ移られた。もともとフレンチを?
福山:はい。大阪のプレイボーイクラブというのがアメリカ資本とはいえヨーロピアンスタイルの店で、ステーキはあってもフランス料理がベースでした。
Q:その前、学校でもフレンチを?
福山:そうです。テレビ番組「料理天国」を僕は中学生の頃に観ていて、そこでフレンチの華やかさに開眼しました。高い帽子を冠ったシェフなどすべてが格好良かったです。うちは父親が船乗り、おふくろも親父と一緒に時々航海に出ていて、小学校高学年から中学時代に僕が料理を作るという機会がよくありました。その時に 「好きなものを買ってこい」と1000円ぐらい渡される。おふくろがいない時にはこうして僕が兄と二人のために料理を作らなければならなかった。そこから、僕は料理をすることがたぶん好きになったのだと思っています。
Q:大阪の学校、ということは関西のご出身?
福山:九州、熊本です。
Q:ご兄弟はお兄様だけ?
福山:はい、でも料理とは全く関係のない仕事をしています。
Q:料理に行きたい、と思われたのはやっぱりお財布を渡されて料理を作ったことがきっかけ?
福山:昔から、子供の時から畑に行ったり海に行ったりして火を炊いて、例えば貝を掘ってきて浜辺で焼いて食うとか、畑からさつまいもを掘り出してきて火にくべて食べるということをしていた。ソヴァージュ(野性的)だったんです、きっと。そういうことも含めて、美味しいものがやっぱり好きだった。おふくろの料理に始まり、自分で見つけたものを料理して食べることに喜びを見出したのだと思います。家の卵焼きには砂糖が入リますが、僕のは塩だけ、と自分なりに
Q:工夫を。
福山:工夫ではなくて好き勝手にやっていた。肉屋でもその当時から値段を気にしながら買っていました。1000円しかない中で、兄貴と自分の分を買わなければならないということを楽しんでいたのだと思います。そしてテレビの料理番組で、漠然と自分の好きな料理の華やかさを観て夢につながる。高校卒業後、食べるものを作る仕事には食いっぱぐれがない、という気持ちで大阪の料理学校へ行かせてもらい、フランス料理を専攻したらフランス料理がやりたくなり、フランス料理を提供する店に入ったら先輩たちが「フランスへ行ってこい」と。
Q:1986年にフランスへ来た時は「来たぞ!」という感じでしたか?
福山:夢いっぱいでした。全然違うこの土地でこれから生きていく。もちろん不安もありました。ただ僕の場合には、とりあえず日本レストランへの就職が決まっていましたからそれほどの心配ではなく、心配よりも期待の方が大きかったです。これからどうなるのだろう、と。とにかく、マルシェでもどこでも新しいものばかりなので、パリの街中を歩いて、歩いて、いろいろ見ながら歩き回りました。すごく楽しかったですし、今も楽しいです。嫌だと思ったことはないです。経営者になってから、フランス人の人間性を見たときには「嫌だな」と思ったことはもちろんありますけれど、どこにだって誰にだっていい面もあり、悪い面もある。やっぱりいい面を見ていかなければ生きてはいけないです。嫌なものを見たときにはこれも自分の勉強だと思うようにしています。
Q:先日初めてお会いした時に福山さんはとても綺麗なフランス語を話されるという印象を持ちました。それでかなりフランスの社会に揉まれて生きていらしたのでは、と思ったのです。
福山:僕はそういう風に歩いてきました。フランス人の友達のほうが日本人よりも多いです。修行時代でもなるべく日本人がいないところを選ぶ、というかたまたまそうなったということもありますけれど、あまり日本人が沢山いる店には行かなかった。
Q:修行時代にはどういうお店に?
福山:僕は意外にあまり動くことが好きではなくて、一度入ったらとにかくその店の軸になるまではいようと思っていました。こちらに来てほぼ30年、この店を開いて15年だとすると、残りの年月で働いたのは7店ぐらいしかないです。
Q:毎回ご自分で選んで店を変わった?
福山:そうです。当時は日本から来た方々ともコンタクトを取っていましたから、自分が行きたいと思った店で働く日本人にコンタクトを取る。それほど広い世界じゃないのでどこかで繋がっています。その後自分で食事に行って、自分がやりたい料理かどうかを確かめる。まあどこへ行ってもいい面、悪い面、というのはありますから、とりあえず入って仕事をして自分がその店の歯車の一部になるまでは働こうと。先輩からも「日本人として恥ずかしくないように」と言われていましたし、自分としても一つの店に入ったら必ずその店の「ためになる」人員になること、成果を出すことを目標にしてきました。シェフやオーナーに認められるまではという気持ちでいつも働いてきたと思います。
Q:これまで働いてこられたお店は全てパリ?
福山:そうです、長く働いたのはパリだけです。ただ長期バカンスなどを利用して南仏やシャンパーニュ、ブルターニュなど地方へ研修には行きました。
Q:ご自身の店を持つ前に一番長く働いたお店は?
福山:バスク料理の店に3年間、それからうちの店のパートナーであるApicius(アピシウス、パリ8区にありミシュランで一つ星を獲得している店)に3年世話になりました。
Q:バスク料理のお店はどこにあったんですか?
福山:Banque de France(フランス国立銀行)の眼の前にオーナーがバスク人の小さい店があって、何も知らずに僕は入りましたが、1年経った後に厨房を任されそのあと2年続けました。
Q:その前からバスク料理を知っていらした?
福山:いえ、その店に入ってからバスク人にたくさん出会って、バスク地方へは夏休みなどに遊びに行きました。その中に僕の恩師である料理人、Biscayビスカイ(Gabriel Biscay)がいました。その人物が店のオーナーのとても仲のいい友達で、MOF(最高職人に与えられる称号)を持つ、料理界では超有名人だった。しょっちゅう遊びに来ていた彼は、僕の質問全てに答えてくれた上に実演までしてくれた。彼にすごく触発されて、16区で彼が当時シェフとして働いていたPrunierプリュニエにはしょっちゅう彼の仕事を見るために通いました。あの店の料理人たちとは今でも繋がっています。バスク料理の小さな店に集まってくる偉大なシェフたち、それこそ1980-90年のフランス料理を支えた人々、ビスカイ、当時はクリオンホテルのシェフだったクリスチャン・コンスタン、トゥール・ダルジャンのドミニク・ブーシェ、マニュエル・マルチネーズ、リッツのギー・ルゲイなど、偉大なシェフたちだけで食事会を開いたりする。刺激のかたまりです。自分が働く店にこんな人たちが来るのかという感じです。あの頃が一番刺激的でした。
Q:1990年代ですよね。
福山:93年から96年のことです。3年間勤めたところで、ビスカイから紹介してもらったApiciusアピシウスでまた3年間働きました。
Q:アピシウスはその時からすでに今のシェフ、ヴィガト(Jean-Pierre Vigato)さんでしたか?
福山:はい。彼は80年代からずっとです。すごくいい人、職人というよりもビジネスに長けた人です。ビスカイは本当の職人です。
うちの店は、ヴィガトとChez Mariusという店を16区で展開するFrançois Grandjeanフランソワ・グランジャンというシェフが共同出資して開いたのがはじまりです。だから店の名前がA(Apicius)& M(Marius)なんです。ヴィガトはこの店の前にもLa Manufacture(近郊Issy-les-Moulineaux)という店をリリースしています。ヴィガトとグランジャンは左岸にも共同出資して店を出しています。
Q:福山さんがこのお店に来るきっかけは?
福山:A&Mの2号店をパリ17区に出すことになったためここへ最初にいたシェフがそこへ移った。その後に呼ばれたのが僕です。ここを先に開店したのはいいけれど1年ほどして業績が下がり始めた。だから17区へも店を出そうという試みだったようです。実は、ここへ呼ばれる前には僕は日本へ帰ろうと思っていました。
Q:ちょうど2000年あたりに?
福山:そうです、アピシウスを終えた時に日本へ戻ろう、という気持ちになりました。フランスにいても先の希望があまりなかった。
Q:ちょうど30代の半ば?
福山:そう。仕事を探そうと一度戻ったけれど日本の景気もいまひとつで、あちこちで会う人から「今は帰ってくる時期じゃない」と言われ、ちょっとがっかりしてこちらに戻ってきました。とりあえず仕事をしなきゃならないのでビスカイの紹介でこちらの外務省などへ仕事をしに行っていました。その時にヴィガトからこの店の話をもらって、日本に帰ろうかと思っていると話をすると、やってみて合わなかったらすぐに辞めていいと、すごく融通を利かせてくれたんです。
この店に来た時には確かに無茶苦茶でした。そういうところへポンと放り込まれると僕もまた燃えて、闘志が沸いてきたんです。こうして1年、2年、3年経って少しずつ回復してきた時、共同経営者にならないかという話をもらい、お金は全然なかったけれども、借金をしてパートナーの一人になりました。ヴィガトもグランジャンも懐が深いというか、いい人間なんです。年々良くなってきたので僕も少しずつ株を買って、今は筆頭株主になっています。まだ全部が自分のものではないというのは歯がゆいけれども彼らと一緒に仕事をすることは自分にとっても良い刺激、モチベーションになります。チャンスをくれた人たちに対して、何がしかの恩返しをしたい。それが一番大切だと思っています。彼らには本当に感謝してもし足りないでしょうね。休日も食事やゴルフを一緒にする、僕にとってはかけがえのない仲間です。
最初は和食の店、その後フランスのレストランで働いてから「労働許可証が取れるから」と言われてフランス人と日本人が経営する店に僕は行った。とはいえなかなからちがあかないところへ手入れが入って、僕は警察に捕まって留置所に連れて行かれる。2泊3日とはいえその事は僕にとっては衝撃的でした。もう直ぐ紙が出るから辞めないで欲しい、と言われていた矢先の出来事でした。留置所から出た僕は一応国外退去をし、結局その半年後に紙(労働許可証)が出ました。その店には半年さらに残って次の店のオープニングを手伝いました。 恩と義理を返して辞めることができたのだと思っています。
紙が取れてからフランス人と同じ条件で初めて入った店が例のバスク料理の店で、その後のアピシウスでは、それまでにたくさんの日本人研修生がいたとしても僕が店にとって初めての日本人正社員だった。でも僕に回ってきたのは見習いと同じような仕事、当時33歳だった僕は「こういう仕事を他の見習いと一緒にするのか?」と、また闘争心を燃やす。「こんなことやっていられるか!」と。見習い以上のレベルはもちろん持っていたし、それ以上の仕事をすればステップアップできることもわかっていた。そして2年目ぐらいに魚部門シェフのポストをもらって、逆に自分が人を使う立場になります。とにかく頑張れば絶対上に行ける、という確信を自分の中に持ってきましたしそういう気持ちを持たないと人の上には立てない。ましてやこうして外国人が外国である程度の地位を得るためには…
Q:人以上に、ということ?
福山:もちろんその人の力量もあります。ただフランス人の見習いなどはあまり努力をしているようには見えない。だからこそ彼らを追い越すことはそんなに難しくはなく、僕にとっては簡単だった。でも、フランス人でもできる奴は本当にできます。特にトップにいる人たちは、僕なんかが追いつけないぐらいすごい。普通の人を追い越すのは簡単だけれども、トップに追いつくのはもっともっと努力をしなければ難しい。常に何の分野でもフランス人はトップにいる、そこがやはりフランス人の凄いところです。パワーもあるし、アイデアも…「いざ」というときの力は凄いです。それは、30年しかこの国に生きていませんけれど何度も感じました。
Q:正念場に底力を発揮する。
福山:雑だけれども、あるラインには必ず到達する。本当にそうです、えー、なぜこんな仕事をしているのにできるの?という感じです。そこがフランスにいて面白いところです。悪いところもいっぱい見えますけれども、いいところもたくさんある。そのことがこの国に居れば居るほどわかってくる。優れたところ、これは日本人にはかなわないな、というところもいっぱいあるし、そしてそういう人に会うと、自分の考え方も少し変わるし、自分のこれまでの経験との接点を見出したりもします。
Q:お昼のお料理をいただきながら、フランス料理の伝統をきちんと引き継いでご自分の料理に活かしていらっしゃるように思いましたが、どのようにその伝統の中にご自身のテイストを加えていらっしゃるんでしょうか?
福山:料理を軽く仕上げる、ということは常に心がけています。
Q:例えばDuo de cochons(豚のデュオ)というメインは、リヨンの伝統料理Tablier de Sapeurに似ていましたが、もっとカリカリしていて軽かった。
福山:あれはもともとアピシウスの得意料理です。豚足だけで作られていたガレットに僕は豚の耳を加えてコリコリとした食感と、生姜そしてたっぷりのニンニクとパセリを入れて風味を足した。ガレットも薄く、カリッと揚げるようにしています。自然と今の形になりましたが、結局ああいうドッシリとした素材で作った料理をどうしたら軽くできるか、いうことを考えながら作っていく。もう一つの豚のバラ肉の煮込みも、中華料理の東坡肉(トンポーロ)をイメージしながら、なるべく油を落として火を入れる。自分が食べて美味しく胃にもたれないことを、フランス料理でも作りながらいつも気をつけています。バターやクリームはしっかり使うけれども脂はきちんと切る、処理をする。量は使ってもお皿に乗せる量は少なくする。クラシックな料理には絶対外せないところがある。そこを生かしながらどうやってお皿の上で食べてもらうか、ということをいつも気にしています。
Q:メニューはどのように変えていらっしゃいますか?
福山:だいたい季節に合わせてです。ただ今は季節自体がどんどんなくなっている。例えば今年は寒くなるのが遅かったので、きのこ料理は秋にはあまり出せなかったし、ようやく寒くなってきたから出そうと思ってもきのこの季節が終わってしまった。
Q:お店で冬の定番Pot au feuポトフなどは?
福山:ポトフは出しません。それでもポトフの形を変え、テリーヌなどにして出してはいます。ポトフまで行ってしまうと、どうしてもビストロ(食堂)料理になってしまいますし、そういう料理をうちの店に食べに来るお客さんはいないとも思っています。
Q:この前、最初にお会いした時に「うちの店はガストロじゃない」とおっしゃっていましたよね。ご自身のお店はどんな店だと思っていますか?
福山:今はビストロノミー(bistronomie、ガストロノミーgastronomie=美食を出すレストランに対してビストロ、いわゆる町角の食堂が出す料理のスタイフのこと、造語であり現在の流行りでもある)という言葉があります。うちに来るお客さんの単価というのが45ユーロから50ユーロだとすれば、その中でお客さんの財布に負担をかけず、良い材料を使っておいしい料理を提供するのがうちの店です。あとは装飾品や光熱費、経営者として色々な経費を考慮しつつ、できるだけ安くて自然な素材、例えば養殖物は使わない、というような選択をする。少ないスタッフでお客さんに喜んでもらえる場を作る、そして少し手が込んでいて量もしっかりした料理、もちろん美味しいものを、ということをいつも考えています。アピシウスや修行をした星付きのレストランのテクニックを使いながら、盛り付けをシンプルにする。一つの皿の中にはせいぜい3種類の食材が載っているだけなのに、仕込み段階での手間はかなりかかっている。ソースにも気を使うので焼くだけの料理は出せない。とはいえあまりにも手がかかる料理もできない。その兼ね合いが難しいところです。
Q:お客さんにもよりますが、今はそれほど手のかかる料理というのは求められていないのでは?
福山:確かに。時間が少しかかったとしても、昔はたとえばCarré d’agneau(子羊の骨付肉)などをお客さんからリクエストされました。昔、といってもたかがこの15年ぐらいですけれどね。ただ、ここ5-6年は、ゆっくりと料理を食べる時間がお客さんにもなくなっているので、焼くのに20分、冷まして5分という料理はもう出せない。だったらソースや付け合わせに変化をもたせるという風に今は変わってきています。手のかかった料理、たとえばパイ包み焼きのような料理はうちのお客さんは要求していません。お客さんと直接会話をすることは少ないですけれど、彼らのニーズに合わせていかないと、いくら自分が食べたいものでも無理だと最近は思っています。
Q:今のニーズ、というのは時間がかからなくて軽いもの、ということですか?
福山:特に昼間はそうです。今日食べていただいた豚肉料理にしても、バラ肉を温めなおす、ガレットを焼く、という作業には時間がかかる、すぐに出せる料理ではないです。
Q:そうですよね、中までゆっくり火を通して最後に表面をカリッとさせる。
福山:そうそう。ある程度時間がかかるから、あの料理を昼間に頼む常連さんは少ないです。お昼は、今日のオススメで出していたオーガニックの鯛を使った料理とか、アラカルトであるRascasseカサゴなどの魚がよく出ます。鱈にしても、一本仕入れますが、切り身にする時にあまり厚くしないように工夫をする。火の通る時間が変わってくるからです。
Q:とはいえ、やっぱりフランスだな、と思ったのは、たくさんの人が分厚い牛のラム(臀部)ステーキを食べていた。
福山:あれを頼む人も「急いでいる」と言いますが、あれほど分厚いとやっぱり15分から20分はかかります。しかも料理人にもこだわりがあるので、あれをパッパッと焼いては出せません。それをわかってくれないお客さんが時々いる…
Q:夜はメニューが変わるんですか?
福山:全く同じです。でも時間がかかるものを頼むお客さんが多いです。
Q:夜もこのあたりの人が多い?
福山:そうですね、でも川の反対からとか遠くから来てくださる人もいます。うちには一応Voiturierヴォワチュリエ(来客の車の駐車管理専門のスタッフ)がいますが、車で来るお客さんは最近ではそれほどいないです。昔はヴォワチュリエが一晩に10台の車を管理していた。もちろんこのあたりは駐車スペースが結構あるので、ヴォワチュリエにお金を払うのはもったいない、というお客さんもいるとは思います。それにしても15年同じ場所でやっていると、いろいろな変化があります。
Q:変わりましたか、この辺りも?
福山:地域自体はそれほど変わっていなくても、経済が良くないとやっぱり昔とは違います。まあお客さんが来てくれるということだけでありがたいです。
Q:お住まいはすぐ近く?
福山:はい、歩いてすぐのところです。最初の半年間は19区、ヴィレットの方に住んでいて、朝1時間かけて通勤、休憩時間に車を取りに帰って夜は車で帰宅していました。その時間を使うことがもったいないな、と思っていたところにたまたま空いていたアパートがあったのでそこへ。
フランスで料理人としてレストランを経営できる、ということはもう最高なことだと思っています。もちろん料理人だけだった時代も楽しかったですけれども、今オーナーとして12人ぐらいの従業員がいて、彼らの生活のことも考えつつ仕事をしなければならない。もし自分が変なことをしてしまえば彼らだって…
Q:路頭に迷ってしまう。
福山:そう。彼らはそこまで考えていないかもしれないけれど、僕としてはたとえ12人という少人数でもその人たちの生活を保証しなければならない、という義務を感じています。重荷だと思ったことはないけれど、ただ単に料理人としてやってきたのとは違う。経営者としてもっと自分が勉強をして、店も繁盛させながら彼らも楽しく仕事ができるように持っていかなきゃいけない、と特にこうして不景気になってくると感じます。調子がいい時にはいいです。でもこうして不景気が長く続くと問題が出てくる。そこが面白いですね。
Q:話は戻りますが、1990年代の終わりに一度日本へ戻ろうと思っていらした時期に、もしも日本へ戻られていたら今どうしていらっしゃると思いますか?
福山:どこに就職していたかによりますね。当時東京で一軒、結婚式場とレストランがあるという店の話をもらいました。でも、全然ピンとこなかったですね。そこにいたら、多分自分は潰れていただろうと思います。その時から、もしかすると僕は半分フランス人になったのかなという感じはあります。日本人と話をしていて、自分も日本人なんですけれど、面白くないんですよね。
Q:何が面白くないんでしょう?
福山:やりたいこと、お金以外の喜び、Plaisirプレジールが感じられない。こちらはやっぱりそのプレジールが大切じゃないですか。Plaisirという言葉が会話の端々に使われる。そのことは今しみじみと理解できるし、おそらくその当時から自分が何をしたいか、自分が満足できることが何か、ということが自分の中の疑問としてあったんじゃないかと思います。Qu’est-ce qui vous fait plaisir (何をお望みですか? – 直訳すれば何があなたを喜ばせますか?となる)ということです。
Q:ちなみに福山さんの今のプレジール、というのは何ですか?
福山:一番のプレジールというのは、自分が調理場にいて気持ち良く料理ができた時です。厨房のスタッフの仕事、それぞれの良さが合った時、というのが一番嬉しいです。スタッフのレベルが下がってきているということも最近はあります。プロ意識を持つ人が少なくなってきている。以前はそんなことはなかったと記憶していますが、今の人たちのレベルには僕はほとんど満足できていません。それでもその人なりに一生懸命やっているだろうし、僕が言うことによって改善される部分もあります。その改善された時にいいものができる、というその時がやっぱり一番嬉しいですかね。
Q:今、厨房には何人?
福山:洗い場、パティシエ、前菜、付け合わせの担当、ソースなどの下準備担当が一人、それから僕で6人。加えて見習いさんがいるので7人ですね。
そして表、店側が5人、ヴォワチュリエが1人いて、経理さんがいて…と結構な人数になります。だから面白いんです。あまり人がたくさんでも困りますけれど、このぐらいの規模だと自分の目は届きます。
Q:ちょうどいい大きさ、ということですか?
福山:そうです。各々がしていることを互いに把握できる、そこはいいと思います。
Q:では、2番目のプレジールというのは何でしょう?
福山:友達。集まってお酒を飲むこと。
Q:好きなお酒はなんですか?
福山:やっぱりフランスのワインです。
Q:焼酎じゃないんですか?
福山:焼酎は飲みますけれど、基本的にはワインですね。オーガニックのワインばかり。
Q:お店ではオーガニックを?
福山:やっています、何種類か。オーガニックと謳わなくても、なるべく自然のもの、Agriculture raisonnéeというものを置いています。Bioオーガニック、といってもどこまでかがわからないですよね。これだけ土地が繋がって風が吹いているとどこまでが本当にオーガニックか、と言いますけれども、やっぱり農薬を使っていないものなどを優先するようにしています。飲んで頭痛がしないことが基本です。
Q:石田さん(この欄でお話を伺ったリヨンのシェフ、石田克己さん)とお知り合い、というので、ナチュラルワインばかりかな?と思っていました。
福山:全部というわけにはいきません。ナチュラルワインも商売の事を考えるとそれだけ、というのは無理です。この店のお客さんがどこまで自然なものにこだわっているか、ということを考えると難しいです。16区のお客さんというのは、今若い人たちが行くような店の客層とは違います。美味しいものに対する要求は厳しいですけれども、流行りはあまり気にしない。僕もなるべく自然なものを、自分が食べて気分が悪くなるようなものは絶対に使わないようにしています。
Q:長いお休みは?
福山:8月のバカンスだけです。2年に1度日本に帰ります。あとはどこか田舎に家を借りてゆっくり、といっても2週間が限度です。最後の一週間はここのオープンの用意があります。でも結局バカンスとはいえ、自分たちの食事などの料理をしています。
Q:ご自宅でも料理を?
福山:いや、日頃は作らないです。日曜日に肉が食べたくなれば自分で肉を焼いたりはします。最近はそういうことも減りましたが、僕は自分が食べたいものは家でも自分で作ります。
Q:どういうものを食べたくなる?
福山:美味しい肉、煮込み料理など時間をかけて作るもの。
Q:ブルギニョン(牛肉の煮込み)とか、お店では出さないポトフとか?
福山:賄いでも、自分が食べたいと思う時にはブルギニョンでもポトフでも作ります。それが美味しくできた時には週末用に取っておいたりします。その他はローストものですか。これもちょっとしたコツがあるので、時間をかけて自分がつきっきりで料理する、というようなことです。
Q:お店でGigotジゴ(子羊のもも肉のロースト)などは出さないんですか?
福山:出しますよ。イースターの時にとかね。あれはごくシンプルでも美味しく作るのは難しいんです。焼き加減、熱の入れ方など、手間はかからないけれども放っておいてはできない料理です。
Q:北アフリカ出身の私の相棒の叔母は子羊の肩肉ローストの名人で、彼女は低音、80度ぐらいでそれこそ10時間ぐらいアルミホイルをかぶせて蒸らしながら焼く、それがまた美味なんです。
福山:サフランを効かせて、ですね。それですよ、好きじゃなかったら料理はできない。料理にはその人の気持ちが入る。家族のため、誰かのため、という気持ちのない人には美味しいものは作れない。うちのスタッフ、若い人たちに言うのは、今作っている料理を誰に食べさせたいのかを常に考えると、いい加減な料理は作れないということです。これをお前の彼女に食べさせるのか?お父さんが、お母さんが、おばあちゃんが食べるか?そういう考えで作ればもっときれいに、もっと丁寧に作れる、もっと美味しくできる。そう伝えていかないと美味しい料理はできません。それは星付きのレストランでもビストロでも同じです。誰かに食べてもらいたい、という気持ちがなければ絶対美味しいものはできません。それからお客さんの立場で自分がこの料理を食べてお金を払う、という意識を持てば必ず料理も良くなると思うんです。一皿、一皿にそういう意識を持たないと自分も成長しないし、お客さんも喜んでくれない。それを繰り返し言わなきゃならない、という機会が最近増えてきています。
Q:料理がおいしい店というのは概して厨房の雰囲気が暖かく家庭的だったように思います。その幸せな雰囲気から生まれる料理というのは、やっぱり暖かくて美味しい。
福山:そうですね。お客さんもそういう厨房の雰囲気というのは感じながら食べているのだと思います。作る側も最後の仕上げまで、誰に食べてもらうという意識を持つことが大切です。僕が美味しいと思うものを自信を持ってお客さんに提供していますが、厨房内でそれが伝わらない時がある。そこが人を育てることの難しさでもあります。だから面白いとも言えますけれど。
Q:ここで働く若い人たちは平均してどのぐらいお店に?
福山:4年いてくれた人がいましたが、最近はほとんど1年ぐらいです。表、店側は安定していますけれど、調理場は長続きしない。
Q:それは彼らの中での料理に対する意識、モチベーションが揺らいだりする、ということですか?
福山:プロ意識の問題というか、技術を学ぶよりも職場を変えることを先行する。
Q:でもみんな学校などでそれなりの技術を習得してくるわけですよね?
福山:もちろんそうですけれど、そのレベルが低いんです。
Q:ちゃんとした学校を出ていても?
福山:学校を出て職場の経験を踏んでいても、基本的な作業ができない。だから、僕ら昔の人間にとっては、たとえば4年のキャリアがあれば魚も下ろせるし鶏や肉が捌けて当たり前ですが、今はそういうことをしたことがない人がキャリアがあると言って店に来るわけです。うちみたいに全てを最初から仕入れて作っている店に来ても、何もできないのに高い給料を要求する。こちらも時間の余裕がないので一から教えるわけにはいかない。するとギクシャクしたことになってしまう。最近はそういう人、Diplômeディプローム、卒業証書はきちんとしているけれど技術がついてこない人が多い。仕入れの段階で魚を丸ごとではなく切り身にする業者がいて、その切り身を買う店が増えている、すると料理人は火を入れるだけというシステムも問題です。人員を減らす、という意味ではいいんでしょうが、料理人、職人を育てる土壌ではない。
Q:でも本当に食材や素材を知りたいのならば、自分で漁港へ行ったりとか市場で実際の肉や魚を見たり触れたりできますよね。まあ私たちの考え方が古い、と言われればそれまでですけれど。
福山:それをしないと本物、本質というのはわかりません。自分で処理して調理してお客さんに出す、というのが本当の料理人の仕事だと僕は思っています。
Q:そろそろ終わりにする前に、基本的な質問をさせてください。福山さんにとって、料理とは何ですか?
福山:パッション、情熱です。それ以外の何物でもないです。でも僕は本当はミュージシャンになりたかったんです。
Q:音楽をされていた?
福山:いえ、していませんでした(笑)。自分が好きな歌を聴くと幸せになるじゃないですか。音楽をする人というのは1曲でどれだけの人を幸せにすることができるんだろう、数しれないよな、と料理を始めてから考えました。この店にたとえば70人来てくれても、僕らの料理がその人たち全てを幸せにしているかどうかがわからない。しかもその中には文句を言ってくるお客さんもいる。それでもたとえ50人でも70人でも、料理で人を幸せにできるのならば、満足して帰ってくれるお客さんがいるならば、料理人という職業も素晴らしいと思っています。自分が本当に好きで、いいものを作れて、いいチームワークができた時、みんなでいいものが作れてお客さんが喜んで帰ってくれるということが一番の幸せです。料理人として、僕はミュージシャンに憧れます。いい曲を作って、何万、何千万、何億人を幸せにできるというのは素晴らしいことです。自分も料理を作って、店に来てくれた人たちだけでも幸せな気持ちにできれば、と思っています。
Q:なるほど。 どんな音楽がお好きですか?
福山:ジャンルなく自分に合ったものですかね。
Q: 今気に入っている音楽は?
福山:…何でしょう…ありますよ、いっぱいありすぎて…
Q:例えば1986年にフランスへいらして「おー、こんな音楽があったか!」という驚きはありましたか?
福山:当時はTéléphoneテレフォン(フランスで1970-80年代半ばまで活躍したロックグループ)とか…♪Je rêvais d’un autre monde …♫ とかね。
Q:リタ・ミツコ(Les Rita Mitsuko、同じく1970年代末から人気のあったフランスのロックグループ)は聴きましたか?私はどちらかというとリタ・ミツコ派です。
福山:リタ・ミツコも何曲かは好きですよ。
Q:音楽と聞いて、耳のいい人は言葉が上手だとよく言うので「やっぱり」と思ったんです。
福山:こちらに来て僕がすぐ知り合った日本人の画家さんがとてもフランス語が上手でした。その人が僕に「耳のいい人はすべてに精通できる、言葉もそうだし音楽もそうだ」と言ったんです。その人は英語もフランス語も達者でした。こちらに来てまだ3-4年だというのに、言葉がべらべら喋れて、音楽にもとても詳しかった。でも僕はあまり物覚えもよくないし、フランス語も調理場の言葉しか話せないし…
Q: いえいえ、そうでないことはこの前、初めてお会いした時にこの耳で聞きました。
福山:フランス人は僕、大好きです。若かった時、調理場で自分が不利な立場に追い込まれても言葉で応酬できない。言葉が出ないことが悔しくて僕がフランス語を覚えるために何をしたかというと、 料理の勉強よりもまず帰宅したらその日の状況を思い出しながら辞書を引いて、あの場面ではどういう風に言い返したらいいかを勉強したんです。毎日、毎日鏡に向かってね。
Q:鏡に向かって?
福山:そう。Quel connard ! (畜生!)とか。
Q:今は鏡を見なくても言えるようになった?
福山:今でも一人の時に事務所でやっています。こういうシチュエーションになったらこういう風に言わなきゃいけない、みたいな。一応自分は経営者だから言葉遣いにも気をつけながら、主語や動詞の活用にも気をつけて、自分の言いたいことをどうしたら正しく相手に伝えることができるのか、未だに一人で練習しています(笑)。
Q:私も一つだけ未だにできないことは人を罵ることです。咄嗟に、自然に口をついて出ない。
福山:言えると気持ちいいですよ。でもすぐにその言葉を使ってしまうとつまらないです。その言葉へ行き着くまでの相手の行動や言動を観察するのが面白い。それを僕は今勉強しています。
Q:そうか、私も勉強しなくちゃ(笑)。
福山:勉強、努力というのは尽きないです。フランスに30年近くいて、いろいろ苦労しただろう、とよく人から言われます。苦労はしていない、今まで嫌だと思ったことはない。たとえば言葉で人を負かすための勉強というのも結局は努力ですから苦労ではない。それをしないとやっぱり人というのは伸びないし、ステップアップできない。そこを「嫌だ」と思ってしまうと苦労になってしまう。そのことを今の若い人たちにも問いかけています。僕はこの国で、仕事をする上でも生きていく上でもずっと勉強させてもらっている。外国で外国人が納得してもらう、認めてもらうためには努力をしなければいけない。生きていく上で、どうやって自分をポジティブにもっていくかということです。苦労した思う時点で、僕はもう負けだと思うんです。50歳、60歳になって会社が倒産したということなら、それは苦労かもしれない。でも好きなことをして自分の目標をつかんでいくためなら、努力と勉強であって、苦労とは違います。これも僕が尊敬する先輩の言葉ですが、苦労というのは「労を苦しむ」ということ。それが嫌ならば努力する。
Q:先ほど「半分フランス人のようなもの」だとおっしゃっていましたが、ご自身が外国人だという意識はありますか?
福山:もちろんあります。この前初めてお会いした時、僕ら二人だけ日本人であとはみんなフランス人だったじゃないですか。そういうことばかりです。誘われてどこかへ行くと、白人ばかりの中に外国人は僕だけです。
Q:すごく先の話になりますが、もしフランスで定年退職されたら、その後もフランスに?
福山:いや、日本に帰ります。
Q:帰る、ときっぱりおっしゃいましたね。
福山:はい。
Q:なぜ?この地で老後を送りたくない。
福山:やっぱり自分の根っこは日本にありますから、父や母、そして自分が生まれ育ったその場所に帰りたいですね。
Q:熊本へ?
福山:僕は帰ります。それはやっぱり日本人として、男として。
Q:それは男も女も関係ないと思います。
福山:いや、でも僕はそうです。そういうものです(笑)。
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