パリから特急電車にゆられて約1時間10分ほど西に進むと、ノルマンディーの中心都市であるルーアンに到着する。駅からまっすぐ伸びるジャンヌ・ダルク通りを行けば、歴史的建築物が立ちならぶ美しい旧市街はすぐそこ。手をこらした緻密な装飾に彩られた後期ゴシック建築はどれもこれも圧巻で、ルーアン市民が「石のレース」と自慢するのもよく分かる。
今回の旅の一番の目的は、19世紀の文豪フロベールとモーパッサンの足跡を追うこと。ともにノルマンディー出身のふたりの作家の交流は、フロベールが亡くなる1880年まで7年間続いた。モーパッサンは、この7年間のおかげで「40年の経験をもっても知りえなかった文学の知識を得た」と師に感謝している。フロベールも、幼なじみであるモーパッサンの母親に「僕は、君の息子に偽りない友愛の情を抱いている。彼は知性があり、気が良くて、分別もあってスピリチュアル。つまり、サンパティック(感じがいい)なんだ!」という手紙を書き、30歳年下の弟子に対する愛情をつづっている。
モーパッサンが「中世の都市、異常なゴシック建造物で充満している、この驚くべき博物館」と書いたルーアン。この町には、フロベールの代表作『ボヴァリー夫人』に登場する大聖堂のみならず、この師弟が眼にし、描いた風景が今もなお残っている。(さ)
構成・文 : アトランさやか
Guy de MAUPASSANT
● 1850年
ノルマンディーのセーヌ・マリティム県に生まれる。
● 1868年
ルーアンの高等学校に入学。
● 1870年
パリ大学で法律の勉強を始めようとしたところで普仏戦争に応召。翌年にフランスが降伏し、兵役解除。
● 1873年
海軍省に正式に就職。セーヌ川でボート遊びに熱中する。
● 1874年
パリのフロベール宅でゾラ、ゴンクールなどと知り合う。
● 1880年
ゾラ、ユイスマンスらが普仏戦争をテーマにした短編を集め『メダンの夕べ』を刊行。モーパッサンは、フロベールが絶賛した『脂肪の塊』を寄稿。
● 1883年
最初の長編小説『女の一生』を刊行、大家としての名声を得る。
● 1885年
代表作 『ベラミ』を刊行。
● 1892年
自殺未遂をおこし、パリの精神病院に入る。
● 1893年
病院で死去。パリのモンパルナス墓地に埋葬される。
Gustave FLAUBERT
● 1821年
ルーアンの市立病院で生まれる。
● 1839年
ルーアンの高等学校を辞め、
翌年独学でバカロレア取得。
● 1840年
パリで法律を学ぶも文学に傾倒。
● 1844年
てんかんの発作におそわれ、ルーアン近郊クロワッセで文筆生活に。
● 1846年
パリで詩人ルイーズ・コレと知り合い、以後8年間ラブレターを送り合う。
● 1857年
代表作 『ボヴァリー夫人』刊行。レアリスム文学の傑作とされるも、良俗を乱す書物としてスキャンダルに。
● 1862年
古代カルタゴが舞台の 『サランボー』を刊行し文壇で高く評価される。ジョルジュ・サンドとの交友始まる。。● 1869年
自伝的要素が濃い 『感情教育』刊行。
● 1880年
『ブヴァールとペキュシェ』執筆中に脳溢血で倒れ、クロワッセの自宅で死去。ルーアンの墓地での埋葬にはモーパッサンやゾラが参列。