13区と14区の環状道路を走るトラムT3沿いには、パリのル・コルビュジエ作品のうち5棟が集まっています。
まずはモンスリ停留所からモンスリ公園の西北へ。一軒家が並ぶ小路スクワール・ド・モンスリがモンスリ貯水場の下に出る角に建つ白い建物がアトリエ・オザンファンです。
ピュリスムの画家アメデ・オザンファンは、シャルル = エドゥアール・ジャンヌレ=グリがル・コルビュジエの名で新しい建築論を発表した雑誌『レスプリ・ヌヴォー』の共同刊行者。1922年に完成したこの家は、ル・コルビュジエが従兄弟のピエール・ジャンヌレとともに設計したパリ最初の建築です。今は陸屋根に改造されているけれど、当時の写真を見ると、屋上にノコギリ型の天窓が2列並んでいた。
モンスリ公園を抜け、向かいの国際大学都市シテ・ユニヴェルシテール構内に入る。
ここには2棟のル・コルビュジエ作品があって、それぞれの一部が公開されている。
日本館近くのスイス館は、ピロティに支えられた直方体の居住棟に、平屋のホールとサロン、階段塔が付属した建物。付属棟の壁の曲面がかっこいい。落ち着いたサロンの壁には画家ル・コルビュジエの大壁画がある。
1933年完成のこの建物は、ル・コルビュジエ最初の集合住宅建築で、マルセイユのユニテ・ダビタシオンの原型と言われている。2階の105号室を見ることができます。
天井も高くてマルセイユのような圧迫感はない。ペリアンによる棚や机が配された部屋は、簡素だけれど明るく機能的で、学生の独り暮らしには文句無い環境です。
すぐ東にあるブラジル館は1959年の完成で、パリでは最後の作品です。軽快な印象のスイス館に比べ、規模も大きくやや重々しく感じられる。ブラジルのルシオ・コスタの設計案にル・コルビュジエが手を加えたもので、1階のホール部分が公開されている。大胆な壁面構成の外観に対して、低い天井と傾斜した床のホールは、細部の工夫が多すぎてやや散漫な感じ。シャルロット ・ペリアンとジャン・プルーヴェによる家具類がいい。
大学都市を出てスタッド・シャルレッティからT3でポルト・ディヴリーへ。
電車通りに沿って東へ行くと、1928年完成のプラネクス邸があります。隣は安くておいしいラオス料理店です。
2つのアトリエが一棟になったアトリエ住宅で、今もプラネクスの子孫が住み、片方は貸事務所に使われているという。傷みが目立っていたけれど、今はきれいに修復されています。
裏手の路地に回ると、庭に面した大きな窓が見える。きっと光にあふれた家です。
次の停留所マリーズ・バスティエから少し北にある、カンタグレル通りの坂道に、救世軍の宿泊施設がある。1929年に建てられた、家の無い人たちのための施設で、ほぼ600人分のベッド、食堂や図書室、診療室などが用意されている。
予約すれば、ブロックガラスで覆われた立方体の入り口ホールなどは見学できるけれど、宿泊者の撮影は厳禁です。
おもに初期のル・コルビュジエ建築を見て歩くのは愉しい。ル・コルビュジエ(だけでないけれど)の建築は、不特定多数の人間を対象にした大規模なものほどつまらなくなる。それは人間を均質な存在として計量化してしまうからです。これ、建築だけではなく、医療でも政治でも同じことだけれど…‥。(稲)
■ アトリエ・オザンファン / L’atelier Ozenfant
53 avenue Reille 14e
■ スイス館 / Fondation Suisse
月~金曜 8時~12時/14時~20時
土・日曜 10時~12時/14時~17時30分
7 boulevard Jourdan 14e
■ ブラジル館 / Maison du Brésil
月~金曜 10時~12時/13時~20時
7L boulevard Jourdan 14e
■ プラネクス邸 / Maison Planeix
24 bis-26bis boulevard Masséna 13e
■ 救世軍宿泊施設
Armée du Salut, Cité de Refuge
見学は要予約 01.5361.8200
12 rue de Cantagrel 13e
■ ルイーズ・カトリーヌ号
Péniche Louise Catherine
ついでに、トラムからは遠く建物でもないけれど、13区のオステルリッツ駅横のセーヌ河岸に係留されている川船。 1915年に建造された船が、1929年にル・コルビュジエの設計で救世軍のための宿泊・給食施設として改装され、1995年まで使われていた。その後放置されていたこの船は建築センターとして修復・改装中です。改装設計は遠藤修平。
port d’Austerlitz 13e
■ 現在、ポンピドゥ・センターで、没後50年のル・コルビュジエ展を8月4日まで開催中です。