フランス人を魅了した五輪選手三人の死
3月11日
アルゼンチンの空に3月9日、3人のアスリートの命が散った。海、プール、リングと舞台は違ったが、それぞれがフランスを魅了した3人だった。
中西部のラ・リオハ州でこの日、民放局TF1のリアリティ番組の撮影をしていた2機のヘリコプターが、離陸直後に空中で衝突した。
乗っていた10人全員が即死。フランス人犠牲者は番組制作スタッフと、出演していたセーリング選手のフロランス・アルトー(57歳)、競泳のロンドン五輪金メダリストのカミーユ・ミュファ(25歳)、ボクシングの北京五輪銅メダリストのアレクシス・ヴァスティヌ(28歳)。
新番組「ドロップド」は、アスリートに水や食料を持参させずに、ヘリコプターで大自然のど真ん中に下ろし、町にたどり着くまでを追うもの。今夏放送予定だった。
翌10日、メディアは終日、事故と、スポーツ界、政界から発表される追悼メッセージを伝えた。 新聞の一面も事故のニュースで染まり「引き裂かれた運命」(ル・パリジャン紙)、「喪に服すスポーツ界」(ル・モンド紙)、3人の波乱万丈な人生を評した「並はずれ」(リベラシオン紙)などの見出しが並んだ。
「北大西洋のフィアンセ」フロランス・アルトーは1990年、33歳で北大西洋をヨットで単独横断する「ルート・ド・ラム」で女性として初優勝。無線の故障にもかかわらず、大海を1人で横断した女性が、夕日を背に先頭を切って入港する姿は伝説となった。その後もスポーツ選手というより「ロックスター(リベラシオン紙)」のような奔放な生き方で、自由で独立した女性の象徴となった。
カミーユ・ミュファは2006年、15歳でフランス選手権で優勝。22歳だった12年のロンドン五輪で、金銀銅メダルを獲得した。波打つ金髪を背負い、3色のメダルを手にした笑顔がまだ記憶に新しい。昨年引退を発表し、第二の人生を歩み始めたばかりだった。
アレクシス・ヴァスティヌは、2度の大舞台で判定に泣き「呪われたボクサー」と言われた。08年の北京五輪では超軽量級の準決勝で、判定負けし銅メダル。ロンドン五輪でも、準々決勝で判定負けした。いずれも物議を醸した判定だった。次の五輪での再起を目指していたという。
3人の死がこれほどフランス人の心を揺さぶる理由を、リベラシオン紙は、彼らが成功した選手のみならず「私たちが生きたいと願う人生を生きたからだ」と記した。(七)