ポスターを見ても、キッチュでよくわからない展覧会だが、フランスはもちろん、戦後どっぷりアメリカ文化に浸かった日本でさえ紹介されなかった「知られざるアメリカ」を豊富な資料で見せる、見応え充分の企画である。
「ティキ」は、ポリネシア神話の半神。家の入口の彫刻や装身具、食器などに見られ、守り神的な要素を持つ。それが、経済成長と消費文化を謳歌する第2次大戦後のアメリカで、ポリネシアの楽園の象徴としてレストランやバーなどで使われた。この南洋の島へのあこがれを体現したアメリカのサブカルチャーが「ティキ・ポップ」なのだ。
展示は、20世紀前半のティキ・ポップの前触れ時代から始まる。ゴーギャンの生涯や南の島を舞台にした冒険小説が人々の空想をあおった。ハリウッドで冒険小説が映画化され(実際に南の島には行かず、カリフォルニアにセットを作って撮影)、大ヒットする。セットは、その後レストランやナイトクラブに払い下げられ、人々はいっとき映画のヒーローになった気分を味わった。テーマパークのハシリである。白人男性は、裸の胸で歩く島の女性たちに、自国では決して許されない開放的なものを感じ、奔放なことが行われているのではないかと妄想した。19世紀のヨーロッパ人が、オリエントにエキゾティズムを求めて想像をたくましくした「オリエンタリズム」と同じ現象だ。
戦後も、物質的には満たされてもストレスで一杯のアメリカ人の「プリミティヴ」な世界への幻想は「ティキ・ポップ」として60年代半ばまで続き、レストランだけでなく、ホテル、プール、住宅、ディズニーランドにもティキ様式が繰り広げられた。会場の一角に作られた「マイタイルーム」で、当時の擬似体験ができる。ハワイ音楽、フラダンスも信仰的な側面を省いて紹介され、ブームになった。太平洋戦争による島々の荒廃も、1946年から62年まで太平洋で100回以上行われたアメリカの核実験も、南の島ブームに影を落とさなかった。
60年代半ば、ベトナム戦争世代の若者たちから、性差別的、植民地主義的と背を向けられ、ティキ・ポップは衰退する。ポリネシアの人たちはこのブームをどう捉えていたのだろうか。本展で紹介されるのは、あくまでWASP(アングロサクソン系白人)の視点であるから、そこには触れられていない。(羽)
Musée du Quai Branly : 37 quai Branly 7e
9月28日迄。月休。
画像:Ornement Marquises (îles)
© musée du quai Branly, photo Claude Germain