フランス社会党の創設者で「フランス社会主義の父」と称されるジャン・ジョレスJean Jaurès。1859年フランス南西部カストルの町で生まれた。今年7月31日は、ジョレスがパリで暗殺されてちょうど百年にあたる。全国各地で彼にまつわる展示会などのイベントが開かれ、関連の出版物やテレビ番組の放映なども目白押しだ。
ジョレスの名は、フランス各地の広場や通り、パリの地下鉄の駅の名前などとして親しまれているものの、どういう人物だったのかと聞かれると、うまく答えられない。初夏の日差しを浴びながら、ときに「心は左、財布は右」などといわれるフランス人にとっての永遠の理想像を追ってみよう。(康)
画像:タルヌ県カルモーCarmauxの町に立つジャン.ジョレスの像。
ジョレスは、この町の炭鉱で1892年から数年間続いた鉱山労働者のストライキを最後まで支援した。
ジョレスってどんな人?
偉大な政治家といっても、ジョレスは一生、大統領や首相、大臣といった肩書きを持ったことがなかった。そもそも共和主義の中道左派の代議士だったが、1889年に落選。3年後に地元タルヌ県カルモーの鉱夫たちのストライキに協力してから社会主義者としての姿勢を貫くようになる。そして一介の野党議員として20世紀のフランスの青写真を描いた。
たとえば、今では常識になっている政教分離や、週35時間労働の原型となるような労働時間の短縮、週1日の休日の実現につとめた。今では過去のものとなった兵役が、2年から3年に延長されそうになった時にも猛烈に反対した。自ら創刊した『ユマニテ』では死刑廃止や植民地政策の放棄、女性の参政権を訴えた。そして何よりその存在を印象づけているのが、第1次大戦開戦寸前まで、猛烈な反戦運動を展開し、そのために愛国主義者に暗殺された平和主義者としての側面だ。
だが、こうした左翼の大物政治家としての業績もさることながら、ジョレスが今でもフランス人に愛され続けているのは、そのマンガのキャラクターのような風ぼうにあるのかもしれない。
正論を野獣のようにほえたてる、ちびデブなヒゲ面。ずば抜けた頭脳を持つエリートでありながら、身だしなみには一向に気を遣わない。正義のためなら議会での乱闘も、決闘もいとわず、晩年になってもデモの先頭に立って警官に殴られたりしている。生前からよく風刺画のネタや広告のモデルとして描かれた。誠実で熱血漢だが、どこか愛嬌のある、フランスの田舎のがんこ親父の姿がそこにある。